- 刊行の趣旨
- T 人間解放をめざすカリキュラム創造
- /森 実
- 1 解放教育におけるカリキュラム創造の到達点
- 2 カリキュラム研究の動向と人間解放
- 3 人権・部落問題学習をめぐる問題状況
- 4 参加型学習の可能性
- 5 本書の構成
- U 自己認識と社会認識をみつめる
- 一 解放教育の争点
- ──確かな関係を構築するために── /坂田 次男
- 1 他者への想像力を──うらぎりを生み出さないために──
- 2 「いじめ」に分け入る
- 3 子どもが視える
- 二 しごと・労働の学習の視点と方法 /三宅 都子
- はじめに
- 1 「しごと・労働」とは
- 2 教科書にみる部落の「しごと・労働」
- 3 子どもと「しごと・労働」
- 4 「しごと・労働」の学習と部落問題
- 5 「しごと・労働」の学習の視点
- 6 「しごと・労働」の学習の展開
- おわりに
- 三 歴史学習を通じての人間解放 /中尾 健次
- はじめに
- 1 追体験的歴史学習──“人間解放”の必要条件としての歴史学習──
- 2 歴史学習と“人間解放”──“人間解放”の十分条件としての歴史学習──
- 3 真の“歴史観”を求めて
- まとめに代えて
- 四 人権文化の花を咲かせましょう!〜萱野小学校の人権学習 /中村 香
- 1 転んだ時はワラをもつかむ〜課題をバネに学校作り
- 2 顔で笑って、足でふんづけていませんか〜「学習を通じての人権」
- 3 渡る世間も練習次第〜人間関係作り
- 4 総合学習の組み立て方
- 5 「OPEN SCHOOL」〜地域に根を張りましょう
- 解説 /森 実
- 1 論調の違いと背景の違い
- 2 歴史学習の視点
- 3 座標軸の必要性
- V 人権学習のアンプレラ構想
- 一 人権教育における参加体験型学習の可能性 /下村 哲史
- はじめに──あるワークショップから
- 1 「差別」をどう学ぶのか
- 2 基本的人権を学ぶ
- 3 参加体験型人権学習の可能性
- 二 ワールド・ワーク(World work) /藤見 幸雄
- 1 ワールド・ワークとは
- 2 POPとは
- 3 個人のドリームボディから社会のドリームボディヘ
- 4 様々な場におけるドリームボディ
- 5 心理学と社会学の接点
- 三 平和をめざす教育学の創造 /村上 登司文
- 1 平和をめざす教育
- 2 双方向の平和教育
- 3 平和教育学の内容
- 4 平和教育学の創造に向けて
- 四 解放教育としての地球市民教育の構想 /雨森 孝悦
- 1 「新しいパラダイムの教育」とその方法論
- 2 日本における地球市民教育の課題
- 3 市民教育の背景と内容
- 4 ディープ・エコロジーと地球市民教育──自我の解放の視点から──
- 五 「人権科」は成立するか /深澤 久
- 1 道徳授業改革運動
- 2 道徳授業の構想
- 3 「人権」の道徳授業
- 4 多くの人々と共に
- 六 解放教育としての人権教育 /フェリス・イェーバン(訳=園崎寿子)
- 1 国家無力化モデル
- 2 「価値観/文化アプローチ」モデル
- 3 新しい人権教育モデルへの視点
- 4 教訓と今後の具体的方向性
- 補説 人権教育に取り組むいくつかのフィリピンNGO
- 七 グ口ーバル教育と社会正義 /マーゴ・ブラウン(訳=園崎寿子)
- 1 要約
- 2 グローバル教育
- 3 社会正義
- 4 多文化社会における生涯教育
- 5 結論
- 解説 /森 実
- 1 解放教育の成果と世界の教育運動
- 2 反差別の教育思想と学習方法との接続
- 3 参加型学習と運動への立ち上がりをつなぐために
- 4 「人権教育のための国連10年」を足がかりに
- 5 「道徳の時間」を「人権の時間」へ
- 6 おわりに
刊行の趣旨
解放教育運動はいま、21世紀を目前にして自己の存在を問われている。グローバルな規模で展開する教育改革に直面して、解放教育自らのアイデンティティは何かを問われ続けているといってよい。
もとより教育は、社会の動向を敏感に受け入れる。冷戦が崩壊し、巨大な社会主義の一角・ソビエト連邦も姿を消した。バックス・アメリカーナの瓦解を受けて、経済大国日本が頭角を現わし、国際社会での「自己主張」を強めている。日本経済の最大の足場はすでにアジアへと移され、いまや、アジアからの貿易は他の地域からのそれを上回るに至っている。その一方で国内に目を移せば、バブル経済は終焉し、政治的には55年体制の崩壊に遭遇している。この激動がまた短期間で進行する。
経済大国日本を維持するべく、臨教審や第14期中教審が国際化・情報化・個性化などを打ち出してきた。労働時間の短縮と週休2日制への要請が、学校5日制政策となって「外圧的」状況を見せながら教育全般をゆさぶる。国内外で進展するグローバル化によって、単一民族論に固執し、且つそれを誇っていた政府が突き崩されようとしている。ことに、アジアの子どもたちが日本の教育に迫る状況は日毎に強まっている。すでに文部省では、直面している課題に対処するべく第一五期中教審を組織し、論議を重ねている。
国連からは「人権教育のための国連10年・1995−2004年」が提起された。国連が提唱する人権教育とはいったい何なのか。ひとことで言って、世界人権宣言や国際人権規約をはじめ、これまでに創られた国際的人権基準がすべての人の暮らしに生きるように「人権の文化」を世界中に築こうとするものである。子どもの権利条約ひとつだけをとってみても、学校教育は根本から見直さなければならないだろう。
「10年」の土台には、国連の文化・教育の専門機関であるユネスコが築いてきた教育の体系がある。それは、世界各地の人権教育の潮流を吸収し、目的論と方法論を確立している。この国連の人権教育と日本の解放教育とはどう関係するのか。どう結びあわせるのか。また「10年」を実現させた世界の草の根人権教育運動と解放教育運動はいかに結びあうのか。「国民国家」幻想に縛られて教育を捉える時代はすでに終わったのである。
解放教育運動が、こうした国内外の動きに無関心だったのでは決してない。歴史の節目節目に、地域ごと、あるいは学校ごとに教育改革を位置づけ、その具体化に努力してきた。被差別状況におかれた子ども・青年たちの自立など、多くの成果をあげてきた。しかしいまは、成果を列挙するよりも、負の部分を見つめないわけにはいかない。学力の状況はどうなのか。「解放の学力」という視点に立って、満足すべき状況にあるとはとうてい言えないのではないか。地域と学校は形式的な連携状況と言っては言いすぎなのか。子ども・青年たちの動きはどうなのか。彼らにはグローバルな視点に立って自らの社会的立場を自覚することが求められているのだが、そんな視点をどれほどもてているのか。生涯教育という視点に立てば、おとなたちの学習運動や文化活動のありかたも当然問われる。人間解放をめざす生涯教育運動がどれほど展開されているのだろう。
結論的に言って、新しい次元に立って、解放教育運動を今こそ発展させる必要がある。国内的な動向にせよ、国際社会の変貌にせよ、それを見定める力量を改めて培うことが急務である。
この時点でいったい何が必要なのか。それは、自己の総括運動である。自己の築いてきたもの、自己に投げかけられているもの、それら全てにわたる総括である。このシリーズでは、その総括を大胆に行おうとする。ただし、総括運動ではあっても、統一見解ではまったくない。これまでの成果だけでなく、課題や争点を明確化し、明日への指針を提案することである。そのためにも、解放教育運動の外からの問題提起を大切にしようと考えている。必要とされているのは、対話を通して問題の所在を探ることであり、自己を通して未来を模索することである。このシリーズを『解放教育の争点』と名づけたのもそのためである。
「国連人権教育の10年」の幕は、すでに切って落とされた。国際社会からの呼びかけは、すでにわれわれのもとに届いている。われわれからも国際社会に向け、おおいに発信していこうではないか。国際社会に向けて発信するために、われわれの築いてきたすべての財産を再確認すること。このシリーズのいまひとつの目的は、ここにある。
国際的な人権教育運動と解放教育運動とはきわめて近い関係にある。幸いにして解放教育運動は、国際社会の動向を踏み外さずに自己を設定してきている。国際社会とのネットワークを通じて新たな次元に立つこと。そのための総括運動にぜひご参加いただきたいと願っている。
1996年9月
編集 (財)解放教育研究所
各巻編集責任 /長尾 彰夫 /池田 寛 /森 実
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- 明治図書