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まえがき
わたしは、きみたちと同じ小学生から「おじいちゃん」とよばれるようになった。だから、家庭や学校のせいかつが、きみたちとだいぶちがうように思う。
きみたちは今、テレビやビデオ、テレビゲームなど、楽しいことがたくさんある。学校ではパソコンを使ってインターネットなどで、いろいろな子どもや大人とかいわできる。ケイタイ電話をもっている子がいるかもしれない。わたしが子どものころは、そんあべんりなものはなかった。テレビやビデオのような楽しいものもなかった。
でもわたしは、きみたちがうらやましいとは思わない。どうしてだろうか。
わたしが子どものころ、学校からかえったら、友だちと竹トンボを作ったり、水てっぽうを作り、だれの作ったものがよくとぶか、きょうそうしてあそんだ。よくとばないものは、じぶんで作りなおした。
きみたちは、あそぶものがちかくにたくさんある。竹トンボや水てっぽうも、できたものがうられている。食べるものは、たくさんそろっていて、お父さんやお母さんにおねがいして、なんでも手にいれることができる。すぐ近くに、コンビニやスーパーマーケットがある子がおおいだろう。
でも、わたしは、きみたちがうらやましいと思ったことがない。どうしてだろうか。
わたしたちの給食がはじまったのは、小学四年生のときだ。それまでべんとうを持っていった。でも、べんとうを持ってこない子もいた。わたしも、そのひとりだった。家に米がなくてべんとうのご飯をたいていないからだ。そんな日の昼やすみは、家まで走ってかえり、ふかしたさつまいもを食べたり、柿を食べて学校にもどった。
べんとうをもってくる子がうらやましかった。でもわたしは、だんだん走るのがとくいになった。とくに、マラソンがとくいで、いつもトップクラスにいた。どうしてそうなったか、そのころはきづかなかったけれど、昼休みに、家まで走ってかえったからだと、今は思っている。
勉強がよくできる子も、たくさんいた。いちばんよくできる子が、級長だった。胸に「級長」のバッチをつけていた。そのバッチが、うらやましかった。でも、学校がおわって、みんなとあそぶときは、わたしが作った竹トンボが級長のよりよくとんだ。水てっぽうも、わたしのほうが、じょうずに作った。そのときは、級長がうらやましがった。
わたしが小学校にあがるまえ、おばあちゃんが元気だった。日なたぼっこをしながら、おばあちゃんが、いろいろな話をしてくれた。あとで思うと、その話が、今のテレビやインターネットと同じだと思う。でも、すこしちがうところがある。きみたちは、スイッチをいれると、テレビやインターネットを見ることができる。それは、おばあちゃんの話より、面白くて楽しいかもしれない。でも、おばあちゃんは、わたしに何かをつたえたかったり、おしえたかったりして、いっしょうけんめい話してくれる。だから、おばあちゃんの、あたたかい気持ちがつたわってくる。そのあたたかさが、うれしい。おもしろいだけではない。たのしいだけでは、ないのだ。
本をとおしてだけど、おじいちゃんになったわたしが、そんなあたたかさを、できるだけ、きみたちにつたえたいと思っている。
二〇〇五年四月 /川元 祥一
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- 明治図書