生活指導 2010年11月号
学びの物語をつくる―子どもの成長を引き出す

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生活指導 2010年11月号学びの物語をつくる―子どもの成長を引き出す

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ジャンル:
生活・生徒・進路指導
刊行:
2010年10月5日
対象:
小・中
仕様:
A5判 123頁
状態:
絶版
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目次

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特集 学びの物語をつくる―子どもの成長を引き出す
特集のことば
学びの物語をつくる―子どもの成長を引き出す
高橋 英児
論文
「物語り」のある授業
子安 潤
実践・小
「蓋をされた魂」を希望にして―『千と千尋の神隠し』の授業(5年実践)―
鈴木 和夫
稲・イネWorld〜5年生の社会と理科の総合化に子どもたちと共に取り組んで〜
植田 一夫
実践・中
進路を考える―総合的な学習の時間を組み立てる
高木 安夫
関連論文
子どもの「学び」を育む総合学習のこれから
田代 高章
第2特集 今、子どもたちの食はどうなっているのか
報告1
疑問と困りがつきまとう食育事業
暘谷 賢
報告2
今、食事の風景、どうなってるの?
東 乃胡
報告3
「食」から見える子どもの姿〜通級教室担当として〜
真咲 倫子
報告4
俊彦はなぜ、肥満になってしまったのか?
芳野 かおり
論文
食に向ける「まなざし」を組み換える「学び」―「自己責任」からの脱却を求めて―
山田 綾
今月のメッセージ
物語のちからと出会う、自分の物語と出会う、他者の物語と出会う
藤井 啓之
私の授業づくり (第20回)
小学校〈道徳〉/「えっ、ブルーギルって、飼ったらいけないの」
大川 勝也
中学校〈道徳〉/道徳は、「こんなやり方もあるんだよ」というメッセージ
鈴木 純江
実践の広場
子どもの生活・文化・居場所
幹男の居場所としてのクラス〜学級行事を通して〜
宮平 恵子
子どもをつなぐ活動・行事
イベント係からの発信
宮西 和美
いきいき部活・クラブ
バスケットボールを通じて個々の自立をめざしたい
酒泉 湧人
手をつなぐ―教師・親・地域の人々
地域の人から学んだことを学習に生かす
大場 理之
私が教師を続けるわけ
私が教師を続けられているわけ―ある出会い
遠藤 利美
案内板 集会・学習会のお知らせ
追悼・城丸章夫/横川嘉範
知の世界を支えた城丸章夫さんとの別れと被爆教師・横川嘉範さんとの別れ
服部 潔
〈発達障害〉の理解と支援―学級・学校・地域を育てる (第8回)
発達障害児の学習指導を問い直す
湯浅 恭正
子ども集団づくりの今がわかるQ&A (第5回)
「貧困と地域生活指導」
山本 敏郎
教育情報
「子どもの貧困」の現代的な姿を把握するために
松田 洋介
若い教師からのメッセージ (第3回)
発信しよう!全生研若者の声!
佐藤 晋也&仲間たち
〜全生研滋賀大会・若者の集いより〜
地域生活指導へのアプローチ (第7回)
香川県高松市の子どもたち
井上 泉
読者の声
9月号を読んで
シリーズ/各地の実践
岐阜
雪村 直人
〜信じられる関係を求めて〜気になる子ども・保護者とどうかかわっていくか〜〜
編集後記
高橋 英児

今月のメッセージ

物語のちからと出会う、自分の物語と出会う、他者の物語と出会う

愛知教育大学 藤井 啓之


小説の中では、さまざまな登場人物が生きている。彼・彼女らは、それぞれの置かれたマクロ・ミクロな状況による制約のなかで、それぞれのものの見方・考え方・生き方を形づくっている。良い小説とは、私が思うに、それぞれの生き方がつくられるにいたる事情や背景がきちんと描かれており、それぞれの生き方が出会ったり別れたりするなかで、衝突したり融合したりしながら、それぞれに新たな生き方を生み出していくとともに、自他の生き方を形づくってきた事情や背景が、お互いに読み直され、つくり直されていく(ことを予想させる)ものではないだろうか。

この、ものの見方・考え方・生き方を、それぞれの物語と呼ぶならば、小説は、いくつかの典型的な物語を取り上げて書かれている。逆の見方をすれば、いくつもの別の物語を捨象して描かれているのが小説だ。だからこそ、読み手はそれぞれの物語の理解が容易となるし、容易であるから心を動かされやすいのだろう。

「事実は小説よりも奇なり」というフレーズがある。教師の前にあらわれる子どもはみな、どんなに幼くとも、選ばされたり選んだりしながら、物語を生きている。表面上、小説ほどドラマチックには見えなくても、それぞれの子どもの中では大小様々な出来事が折り重なり、本人にとってはとてもドラマチックな物語が展開している。しかし、多くの小説とは違って、現実の登場人物はとても多い。さらに、登場人物相互のかかわりが新たな物語を生み出し続けているから、物語はいっそう錯綜する。しかも、小説のように作者が典型的な出来事を選んでわかりやすく示してはくれない。教師は自分で出来事を見つけ出し、物語を読み解いていかなければならないのだ。この複雑さや困難さの前に立ち尽くし、教師は物語を読むことをやめてしまう誘惑に駆られることもあるだろう。そのとき、教師は、制度としての学校という、子どもたちの多様な物語を無化してしまう物語で、子どもたちの物語を塗りつぶしてしまって対処しようとするかもしれない。否、そもそもそれぞれの物語を持つことを許さない力で、制度としての学校の物語は教師にのしかかっているのだろう。

しかし、制度の物語を押しつけることは、二重に教師の仕事を苦しいものにする。まず一方で、制度の物語は、教師自身の物語を粗末にする。教師が子どもたちに向き合うとき、生き方をかけて向き合えないからだ。このことは、教師を子どもたちにとってよそよそしいものにする。教師自身も、自らの物語と出会うことができない。他方、子どもたちの学びとは、彼らの物語と他者の物語や新たな出来事とが触れ合うなかで、物語が編み直されていくことだ。だから、子どもたちの物語をカッコに入れて押しつけられるものごとは、彼らの物語とすれ違うしかない。こうして、子どもたちが学びを通して豊かになっていく回路を閉じてしまう。教師の仕事の結果として、子どもたちが育っていかないのだ。

重松清の『青い鳥』などを読むと、多くの教師が子どもたちと自分自身の物語を読むことから疎外されている現実が垣間見えてくる。そして、あらためて物語を読むことの重要性を認識することができる。

かつて寺山修司は、若者にめがけて「書を捨てて街に出よう」と言った。でも、今は、こう言い換えてよいのではないか。「みなさん、書(物語の意味でもあり、また教師自身の物語でもある)を持って街(教育現場)に出よう。」

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