- 特集 学級づくり/ワザ・技・わざ
- 特集のことば
- 学級づくり/ワザ・技・わざ
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- 【論文】学級集団を育てる教師の技量
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- 実践のポイント
- 学級づくりの展開をどう構想するか
- 小学校/学級の自治をきちんと構想し、追求しよう
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- 中学校/子どもをつかみ、実践の見通しを立てる
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- 学級びらきをどう演出するか
- 小学校/明るく楽しく出会いを演出しよう!
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- 中学校/学級びらきで指導の方向を明確に
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- 子どもの集中をどうつくり出すか
- 小学校/子どもたちが集中するとき
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- 中学校/集中をつくり出す4つのポイント
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- 何をどうほめ、叱るか
- 小学校/“私の思い”を着地させること
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- 中学校/子どもとともに価値基準をつくる
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- 子どもとの対話をどう始めていくか
- 小学校/笑顔で話そう
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- 中学校/関係づくりをし、意図的に交流をはかる
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- 集団をどのように動かしていくか
- 小学校/隠れた要求を実現するために集団は動き出す
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- 中学校/班づくりを通して
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- 荒れる子へどう関わり始めるか
- 小学校/「荒れ」は「戸惑い」の裏返しとして
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- 中学校/荒れる子への共感から指導が始まる
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- 話し合いのできるクラスをどうつくるか
- 小学校/子どもたちの生活の様々な場面で、話し合いの機会とサイクルを
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- 中学校/話し合いのできるクラスをつくる一歩
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- どんな遊び・ゲームをするか
- 小学校/生活のすべてが遊び・ゲーム
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- 中学校/まだクラスになじめない時期の友だちをつくるゲーム
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- 授業の規律をどうつくっていくか
- 小学校/そこに自分の居場所があるから、授業がある
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- 中学校/学ぶ主体としての喜びが規律に
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- 何からどう学んでいくか
- 見えないもの、見えにくいものから学ぶ
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- 実践記録/4月の学級集団づくり
- 小学校/みんなでまぶしいクラスをつくろう!
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- 中学校/卓也と子どもたちの学級びらき
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- 実践へのコメント
- あせらずあわてずゆっくりと(しかもあきらめず)子どもたちに向き合っていく
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- 今月のメッセージ
- 子どもの生きづらさの背景にあるものとたたかう
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- 私の授業づくり (第1回)
- 小学校〈体育〉/勝ち負けだけじゃ、幸せになれないよ
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- 中学校〈数学〉/「すごい!」の声を求めて―なぜ数学を学ぶか―
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- 実践の広場
- 子ども文化の世界
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- 貧困・格差と子どもたち
- つらい生育歴を持つ子どもたち
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- 学級のイベント
- 学びを楽しく、体験をいっぱい
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- 学年・学校行事
- どの子にも活躍の場がある学年行事“冬のオリンピック”(低学年)
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- 部活動・クラブの指導の工夫
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- 職員室の対話
- 「採用試験に合格したい」優子先生の願いよかなえ
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- 手をつなぐ―親と教師
- 今、保護者に安心と自信を
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- 私が教師を続けるわけ
- 新任教師が教職に対する喜びを感じるまでの悪戦苦闘の日々
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- 〜小中学校への携帯持ち込み禁止の方針をめぐって〜
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- 『子どもの貧困』(明石書店)
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今月のメッセージ
子どもの生きづらさの背景にあるものとたたかう
常任委員 高橋 英児
「教育は、すぐれてあざやかに、たかかいである。人間とたたかいながら人間のそととたかかい、また人間とたたかう。」(むのたけじ『詞集 たいまつ』評論社、一九七六年、九二頁。傍点はむのによる)
この言葉を思い出したのは、08年夏の全生研大会の小学校レポートの総括をしたときのことです。大会レポートには、生き苦しさや苛立ちを荒れや問題行動という形でしか表出できない子どもたちが多く登場します。彼らに共通していたのは、自己否定的な感情が強く、自己肯定感が育っていないということでした。例えば、注意されたり間違うと「ダメだ、バカだ」とパニックになる1年生の子どもが「僕さ、幼稚園のとき、いつも怒られてたんだ。わからないけど怒られて、外にいなさいと言われて、どうしていいかわからなかった」と教師に語る姿、暴力的な言動を繰り返す小6の子どもが「俺なんか死んだらええんやろ」と叫びながらも「お母さん喜ばせられへんけど、ほんまに生きててええんやな?」と教師に問う姿など、生き苦しさを周囲に聴き取ってもらえず、怒られたり否定されたりして抑えつけられてきた経験が垣間見られます。そして、彼らが、自己の存在を肯定的に受け止め、その苦しさに共感し、共闘してくれる「他者」とこれまで出会えなかったことを痛感します。
小学校実践に登場するこれらの子どもたちに共通する背景には、すでに「会員通信」でも指摘しましたが、「発達障害」「児童虐待」「貧困」の3つの問題の連鎖があり、実践の困難さが構造的に生み出されていることが分かります。例えば、大会レポートでは、過剰な暴力的表出を繰り返す軽度発達障害のある子どもの背後に、貧困状態にある家庭による児童虐待の影響が疑われる状況、家庭が貧困状況のために子育てが出来ず、ネグレクト状態にある子どもがその年齢にふさわしい発達を遂げられていない状況などが読み取れます。
先のむの氏の言葉を思い出したのは、こうした困難な状況に直面した教師たちの実践が、まさに「すぐれてあざやかに、たたかいである」と感じたからです。
多くの教師たちは、自分の目の前で荒れる子どもたちの行動に関わりながら、彼ら自身の内面にも真摯に働きかけ、ねばり強く向かい合い、彼らにとって「信頼できる他者」になっています。しかしその過程で、彼らの暴力にさらされ、時には自分自身の子ども観や教育観を問われるなど、教師としての危機に直面することもあります。まさに真剣な「たたかい」であることが伝わってくるのです。
同時に、教師たちは、問題を抱えた子どもたちに寄り添おうとすればするほど、彼らがそうせざるを得ない「わけ」を問うています。彼らと共感的で応答的な関係を築いている教師たちに共通していると感じるのは、子どもたちが背負っている現実の問題を問い、対峙している姿です。その意味で、教師たちは子どもと向き合いながら、その「そと」ともたたかっています。そして、そのたたかいは、保護者やさらには地域の人々との共同を生み、学校を超えて、地域生活指導という形で生きづらさの原因にある社会の問題構造を変えていく様々な取り組みの輪へと拡がり始めています。
このように今の教育困難な状況を乗り越えるためには、子どもたちが抱える現実から「問題」を発見し、共にその現実を変えていく取り組みを広げることが重要ではないでしょうか。その取り組みは、現在では、福祉や貧困から平和の問題まで、あらゆる社会の人々との共闘の可能性を含み持つものになっていると思われます。だから私は、むの氏の「また人間とたたかう」を、子どもの背後にある現実とたたかいながら改めて向き合う意味での「と」であり、さらに共同する仲間としての「と」だと読み直しています。
子どもと大人がより良い生活を創り出していく取り組みの輪を、さらに拡げていきたいと思います。
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