- 特集 集団づくりの出発・4月のアイデア
- 集団づくりの出発・4月のアイデア
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- 学級の組織づくり
- 小学校/ていねいに見本を示しながら行動のしかたを教えていきましょう
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- 中学校/子どもの必要と要求をひきだして子どもとつくっていく
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- 小学校/仲間とのつながりのはじめの一歩
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- 中学校/朝のスタートはみんなの会で
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- 班会議・班長会議・学級(総)会
- 小学校/原案をつくり、討議をしよう
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- 中学校/班は学級づくりの命綱
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- 係・当番活動の決め方
- 小学校/子どもたちの夢を実現する係活動・当番活動
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- 中学校/自分たちの生活する場でのシステムであることを自覚させながら
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- そうじ・給食の指導
- 小学校/子どもは楽しく、教師は楽に
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- 中学校/遊び心のある指導を
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- 休み時間(遊び・クラブ)の指導
- 小学校/つながりをつくりだす休み時間を!
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- 中学校/指導などと気負わずに…
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- 4月のイベント
- 小学校/成果と課題を明らかにすることが大切
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- 中学校/学級・月例誕生会のすすめ
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- 生徒総会の準備
- 中学校/とにかく話させてみることが大事
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- 部活動の出発
- 中学校/明確な方針を打ち出そう
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- はじめての保護者会
- 小学校/出会いを大切に
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- 中学校/保護者とのつながりを考え、気を引き締める時
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- 4月の学年会
- 小学校/「バラバラ攻撃」に負けず、みんなで楽しんでお仕事するために
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- 中学校/安心して自分を表現し、学び合う場
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- 第2特集 授業づくりの出発(4・5月の授業をどうするか)
- 小学校低学年/授業づくりの基本をしっかりと
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- 小学校中学年/私の授業づくり
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- 小学校高学年/大きく構えてゆったりと
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- 中学校社会/子どもたちが社会科の楽しさと出会うとき
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- 中学校数学/元気のでる数学の授業づくり
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- 中学校美術/4月・5月の美術の授業
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- 今月のメッセージ
- 教育する喜び
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- 若い教師のための子ども集団づくり12か月 (第1回)
- 小学校4月/子どもとの出会いをつくる
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- 中学校4月/子どもとの出会いをつくる
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- 実践の広場
- 私の教室
- 他者とのかかわりをつくる一年生教室にしたい
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- 学びの素材
- 金八を使った人権総合学習
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- すぐ使える遊び・ゲーム
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- 部活動・クラブ活動の工夫
- えっ、バレーボール部の顧問!
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- 子どもの文化事情
- 忙しくても、たくましい!
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- 〜子どもたちの生きづらさに向き合い、生きる希望をはぐくむ集団づくりを追求しよう〜
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今月のメッセージ
教育する喜び
全生研常任委員 今関 和子
また4月がやってくる。今年はどんな子どもたちと出会うのだろう。
教え子の友里は高校を卒業するとお金を貯めてはアメリカを旅行していた。それが、一ヶ月の滞在になり、六ヶ月に延びて、やがてベビーシッターなどをしてアメリカで生活をするようになっていった。日本人がアメリカで仕事を探すのは大変なことだと言っていたが、話しぶりは楽しそうだった。
「なぜ、アメリカで生きようと思ったの?」と聞くと、友里は「いつも先生は楽しそうに海外旅行の話をしてくれたでしょ。これからは何も日本ばかりで生きていくことはないって言っていたじゃない」と言った。友里はアメリカで黒人の青年と出会った。母親の反対を押し切って結婚し、本格的にアメリカで生きることを選んだ。
「ジェフに支えられて、今のところはうまくやってます」と時折便りをくれる。
年末に突然恭平から電話があった。恭平は小2の途中で転校していった子どもだった。「僕のことはもう覚えていないと思うけど…先生に会ってみたい」と不安げな声で言った。恭平は19歳の青年になっていた。「目がくりくりしていて、いたずらっ子だったよね。寄り道が好きで…」と話す私に「先生はすごい、みんな覚えているんだ」と感心したように言った。
恭平は大学に通いながら軽度発達障害の子どもたちとのイベントにボランテイアとして参加しているという。「子どもたちはほかの子どもたちと少しも変わらないと僕は思う。僕もいまならADHDだとか言われてしまったに違いない」考え深げに恭平は話した。
やんちゃで屈託のない子どもだった恭平が、自分のことは忘れられているかも知れないという意外な思いをもっていたことや、彼の成長ぶりに、私の知らなかった彼の姿を見た気がした。
5年で受け持った時、隆史はいつもすねているように私には映った。仲良しの真人と隣同士に座り、体が半分イスからずれ落ちそうな格好をし、授業中もおしゃべりをしつづけていた。誰かが発言すると、からかって馬鹿笑いをしたりケチをつけた。たまに隆史は手を上げることがあったが、指名すると、一呼吸してから「ああ、やっぱやめた!」とドンと音を立て乱暴に席に着くのだった。
隆史が何を考えているのかわからないまま、ぐったりして1学期が終わった。
夏休みになり日直で学校にいた時、一時もとうに過ぎたころ、隆史は赤ちゃんの頭ほどもある巨大なおにぎりを持ってやってきた。そして「先生のお昼」とぶっきらぼうに突き出した。昼食はすでに終わっていたが、食べないわけにはいかなかった。巨大なおにぎりを食べる私を、隆史はちょっと笑みを浮かべながら見ていた。必死で何とか食べきったが、夜になっても私はお腹が苦しくてたまらなかった。
巨大なおにぎりは、隆史が張り切って「先生に食べさせるのだから、でっかいおにぎりを作ってほしい」と母親に頼んだものだということが後でわかった。
そんなことがあって私は隆史のシャイな性格を理解するようになった。
隆史が二十歳になったころ「隆史が先生に会いたがっているから」と母親から連絡があり、また交流が始まった。小学生のころは小さかった隆史は、今180pもの長身になり、大工をしている。母親の経営する飲み屋で出くわすと、さりげなく私の隣に座り、時折ボソボソしゃべる。
出会うと必ず巨大なおにぎりのエピソードを母親が大声でし、隆史はちょっと笑みを浮かべて黙ってそれを聞いている。隆史は相変わらずシャイな奴だ。
私たちの仕事というものは不思議なものだ。十年や二十年前に出会った時、共に過ごし、語り、学びあったことが、子どもらの今につながっている。それが教育という仕事の喜びなのだと思う。子どもたちの人生の中のわずか一年か二年の出会いが、彼らの人生を大きく左右させることがある。
教育現場が厳しくなっている時だからこそ、今、あらためて教育の喜びを確かめたいと思う。
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- 明治図書