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今月のメッセージ
〈子ども集団づくり〉をさらに発展させよう
常任委員 折出 健二
〈子ども集団づくり〉は、教育の当事者である子どもたちが集団をつくり集団と共に生きる共同的主体である、という見方を表わしています。ですから、学級という制度枠組に基礎をおいて集団の民主的形成を追求してきたこれまでの実践的経緯にたいして、多様な子どもたちの集団の展開とそこでの人格形成の重要性を提唱しているのです。
市場主義の競争のもとでは、子どもの多くは「弱者」あるいは「劣位」に追いやられます。この立場の者が自分たちの要求をどう共同化し社会化していくか。その際、「強者」あるいは「優位」にたつとされる者も不安・葛藤を押し殺して生きているわけで、その彼や彼女とも真に共同できる枠組(集団性)はどのようにしたらつくられるのか。ここに、〈子ども集団づくり〉の重要な視座があります。
ここ十年くらい、〈対話・討論・討議〉を集団づくりの方法として重視してきているのにもそれなりの訳があります。それを、総会の「討議・決定」という従来の枠の延長で見るのではなく、当事者である子どもたちが、互いの要求をつなげ、共同化・社会化していく、その生活活動の民主的手段・様式としてとらえるということです。
このようにして、〈子ども集団づくり〉は、子どもをめぐって起こる諸問題を「個」または「わたくし」に還元するのではなく、社会的な問題・制度的な問題として捉え、この生活現実を社会的に読みひらく力をつけることを重視しているのです。問題や病理を「個」化する動きに対して、〈子ども集団づくり〉そのものが対抗軸となるのです。
また、「問題行動」をおこしたり繰り返す彼/彼女を「クライエント」化することに対しても、〈子ども集団づくり〉は意識的にスタンスをとります。ここで「クライエント」とは、なんらかの不安を抱え、心理的葛藤におちいり治癒を必要としている状態のひと、という意味です。
わたしたちが、現在の子どもの「荒れ」を、子どもたちの「行動化したヘルプ」(第四七回大会基調提案)と見るのは、子どもを「クライエント」とみなすからではありません。それは「ヘルプ」という身近な他者関係を介して共同化・社会化されることを内側に含んだ叫び・要求なのだと見ることを意味しています。
わたしたちは、子ども一人ひとりの発達課題にはていねいな検討を重ねますが、問題の心理(学)化には、慎重な態度をとり続けてきています。それは、こんにちの複雑な構造的激変を前にしても、「生活台に根ざす」「自己統治能力を育てる」という文脈でいわれてきた、社会的存在として子どもを育てる見地、その生活指導思想を引き継いでいるからです。
〈子ども集団づくり〉は、学びと自治活動・文化活動を共同のベースにもつ公共空間の形成を追求します。それは、子どもを「クライエント」化して教室を「癒し」空間にしようとする昨今の動向・政策をとても危険なものだと観るからです。しかも、そのような心理主義・心情主義を媒介にして、子どもたちを、「この日本にいるかぎり自分たちは守られる、そうであれば自分たちもこの国のために何かしなくては」というナショナリズムに吸収していく流れを読みとるからです。昨今の改憲論議のテンポアップもこれに大いに関係します。
個人競争社会で多くの若者が「劣位」にあるとされ、当人たちも問題を「自己責任」や「わたくし」に還元しがちで、若年労働政策の貧しさの問題として捉える視点や関係性がよわい。これが、現在の「フリーター」「ニート」問題の背景にはあります。当事者である若者として、自分たちの要求をどう社会化するか。ここを変えなければ日本の社会は変わりません。初めに述べたように、〈子ども集団づくり〉が教育内容として実を結ぶであろうことの、将来的な意義もそこにあります。
「自由」「平等」などの民主主義テーマをめぐるヘゲモニー闘争でいかに主導性を勝ち取り、これを学校改革の公論にまで高めていくか。この一年、実践と研究の正念場です。
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