生活指導 2005年7月号
学年を共同の場に

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生活指導 2005年7月号学年を共同の場に

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ジャンル:
生活・生徒・進路指導
刊行:
2005年6月8日
対象:
小・中
仕様:
A5判 124頁
状態:
絶版
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目次

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特集 学年を共同の場に
学年を共同の場に
大和久 勝
小学校実践
子ども、保護者の安心は学年教師集団の共同から
勝野 一教
子どもが教師をつなぐ
小川 明実
中学校実践
教師の居場所
上林 武彦
学年で取り組んだ初めての沖縄修学旅行
安郷 光
分析
学年を共同の場に育てるリーダーシップ
大和久 勝
論文
学年集団づくりの最近の傾向
山本 敏郎
第2特集 今、児童会・生徒会は
小学校実践
児童会活動は学校づくり
国澤 しずの
小さな要求実現から学校を変える動きに!
古関 勝則
中学校実践
子どもたちの希望と願いを学校行事に
遠藤 登
遊びの仕掛け屋・生徒会
佐藤 くみ子
実践的論文
自治と文化を育む児童会活動を
植松 保信
今月のメッセージ
今、職場に共同を
齋藤 修
初めての人のために やさしく解説する集団づくり入門 Q&A・小学校 (第4回)
子どもの願いを大事にする話し合いを
宮崎 久雄
初めての人のために やさしく解説する集団づくり入門 Q&A・中学校 (第4回)
リーダーと共に一学期の終わりの会を創る
栗城 順一
実践の広場
私の教室
自然にかこまれた空間―子どもたちの「しゃべり場」
鈴木 永輝
すぐ使える遊び
ちょっとした気分転換に使える遊び
鈴木 直
授業のアイデア
言葉で伝え合う国語の授業
町田 英子
楽しいイベント
一人ひとりが成長するお楽しみ会
福田 幸子
学校は今
温かく認め合う学校づくりへ
河野 修三
通信・ノートの工夫
年賀状・暑中見舞いも「ハガキ通信」で
飯塚 守
手をつなぐ
気軽に家庭訪問を
森田 吉城
今子どもたちは
折れた “ものさし”
益田川 清
私のオフタイム
自分を見つめる時間
白桃 敏司
案内板 集会・学習会のお知らせ
北から南から
地域・サークルからの発信 青森県
阿部 聡
〜その気になれば何とかなるさ〜
教育情報
公立中学校での公文式学習の導入
山下 太郎
読書案内
『読むことの教育―高瀬舟、少年の日の思い出』(竹内常一著)
鈴木 和夫
読者の声
5月号を読んで
長編実践記録 (第1回)
学級崩壊後の子どもたち
柏木 修
全生研第47回全国大会案内
編集後記
大和久 勝

今月のメッセージ

今、職場に共同を

全生研常任委員 齋藤  修


 今年の三月のI市の人事異動では、退職者の数が例年の2倍以上もおり驚かされた。定年まで後二〜四年残して辞めていった方が目立った。ひとつの学校から7名もの退職者がでたところもあり、40代後半の教師も数多く現場を去っていった。これだけ多くの退職者を出した背景として昨年度が早期退職者制度の最終年であったこともあるが、今年度から本県でも目標申告制度が試行されることになり、ますます職場が息苦しくなっていくと感じられたからでもある。

 退職したある教師は「職場に支えがない。困ったときに相談できる仲間がいなくなった」「疲れた。安心して教育がやれる状況でなくなった」「忙しくて、教師の喜びが感じられなくなった」と話してくれた。そして、「子どもが起こすさまざまな問題には耐えられる。でも職場に悩みを話せる仲間がいなくて、ダメ教師かのように私をみる周りの眼差しには耐えられなかった。同僚の前に出ると身体が硬直してしまう自分がいた。また、親との関係も重かった」と、そのつらさを話してくれた。

 今、多くの仲間が職場の中で孤立し、悩みを語れずに苦しんでいる。

 職場には自己責任の考えが深く浸透し、失敗が許されず、常に緊張状態が続いている。また、それぞれが自分のことで精一杯でお互いに認め合う関係が成立しにくいのである。人は自分が大切にされず、軽く扱われるときに生きるちからを失っていく。教師の共同がずたずたに切り崩され、どんなに頑張っても認められない無力感が身体全体を覆い始めていく感じがする。今、このような状況が教師であり続けることを難しくしている。

 それでは、教師の共同を創りだしていくためには、何が必要なのだろうか。

 まず、愚痴を言い合えることである。子どものこと、親のことなど思うように進まないことが度々である。何気ない言葉がすれ違いを生み、トラブルに発展してしまうことがある。そんな時に自分の思いをどうしてわかってくれないのか愚痴が出る。その愚痴を聞き取ってくれる仲間がいて、応答してくれたときに自分の思いが肯定され、安心感を持つことができる。まず、職場には愚痴を言い合える関係をつくり出していきたい。ところが今、愚痴さえも言えない職場があるという。

 愚痴は学校のあり方を問う声である。つらいときには「つらい」と、苦しいときには「苦しい」と声を出し合っていきたい。そして、それがつながり合ったときに愚痴は要求となり職場を変えるちからになっていく。

 R先生は、障害を抱えた子どもの指導に悩み続けていたが、そのことを職場で相談できずにいた。やがてその子と周りの子どもたちとのトラブルが親とのトラブルに発展し、R先生は自分ひとりで抱えきれずに学年の先生に相談した。学年の先生方は、それぞれ役割を決めてすぐに親と話し合いを持ち、信頼感の獲得に努めていった。分会ではR先生からの相談を受け、障害を抱えた子どもの指導をめぐって校長と話し合い、職場での支援体制とスクールサポートの要請をしていった。また、職場で障害を抱えた子の指導をめぐって研修会も持たれた。

 R先生は当初悩みを誰にも打ち明けられなかった理由について「苦しかったけど、そのことを話すとそれまでがんばってきた自分が崩れてしまいそうで言えなかった」と語ってくれた。自己責任の考えが他者への信頼感を奪っていった。しかし、職場の仲間に支えられながら問題を乗り越えたときにR先生は「私の指導をめぐっていろいろ話し合われたときにはつらかったが、これからの自分のちからになる」と仲間への信頼感を取り戻してくれた。

 それぞれの悩みや苦しみが職場で共有され、それぞれが当事者としてつながったときに、悩みや苦しみは要求になり、共同的な活動がつくりだされ、学校をつくりかえるちからになっていく。

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      明治図書
    • 4月25日朝に起きたJR宝塚線脱線事故の報道に接した時、とっさに浮かんだのが、その数日前の埼玉県の新採教師が自殺したというニュースでした。どちらも事故や単なるニュースでなく、正真正銘の「事件」です。日がたつにつれて、どちらも、その事件性を色濃くしていますが、まさに現代社会を映した事件だと考えますが、いかがでしょうか。埼玉の新採者の自殺については、ほとんど報道がされませんでしたが、「埼玉新聞」は次のように報じています。
      「〈埼玉の越谷市の千間台小学校で22歳の新任教師が校内自殺。授業参観当日の早朝〉
      19日9時30分ごろ、3階の図工室で、首をつって死んでいるのを、校長が発見。はりのフックにネクタイをかけ、椅子を踏み台にしてジャージ姿で。自宅、学校からも遺書はみつかっていない。彼は、朝6時過ぎに学校へ来た。8時過ぎからの児童集会に姿を見せなかった。その後のクラスのHRにも出てこなかった。不思議に思った校長らが探して見つけた。11日から授業を行っていたが、休むことはなかった。午後から、算数の授業参観を別の教諭と行うことになっていた。」
       新聞以外では、民放の報道番組で報じていました。顔を隠して教頭先生がインタビューに答えていました。「なぜか分かりません。理由の見当がつきません」という言い方を繰り返していました。結局、それ以上のことは追求されず仕舞いでしたが、一〇〇名以上の人命を奪ったJR西日本の体質と、自殺した青年教師のいた学校現場の体質は類似しているのではないでしょうか。
       極度な職場の管理体制と効率主義、成果主義の深まりを、共通のものとして感じるのです。一つは人の命を運ぶ仕事です。もう一つは、人を教える仕事です。どちらも、効率や成果で競い合う仕事ではないはずです。
       昨近の学校の一日一日が、効率と成果を念頭に置き、計画され、実施されてきているように思われてなりません。年度当初に作られる、あるいは用意される膨大な計画書(年間教育計画)を見たらその深まりが分かります。この埼玉の学校では、19日に授業参観というのですから。子どもと出会ってまだ間がない中での授業参観です。新任の教師にとってどれだけプレッシャーがかかるか知れたものではありません。授業参観一つの問題ではありません。教育課程全体に効率と成果が求められるシステムが職場を支配しているのです。たとえば人事考課制度や学力テスト、外部評価などはその最たるものです。
       職場の管理体制と仕事内容の効率主義、成果主義は、実は日本社会を覆っている問題だということを改めて内外に知らせていきましょう。私たち大人の生きづらさと子どもや青年の生きづらさとは、同じ根っこを持っているのです。
      (大和久 勝)

      新任の教師にとってどれだけプレッシャーがかかるか知れたものではありません。→大人や青年の生き辛さは確かに感じますが…子供を教育する立場の人間が!学校という公共の場を使って自分の欲望を果たすのは、間違っていると思います。
      自分がプレッシャ−に負けたのなら皆の迷惑にならぬ様、
      死に場所を考えて頂きたい!!皆、プレッシャ−に負けずに頑張っています。こんな事件が起きたので、当学校の同期新任(担任)先生は余計に大変な思いをされていました!
      死にたいなら人様に迷惑かからない様、するのが常識。
      ましてや子供を教育する立場の人が学校を選ぶなんて元々、自分の事しか考えて無い!!!教師失格。
      事故は自分が望んで起こした事ではありませんが…
      教育者たるもの、自分の欲望の為に死に場所を学校&授業参観時に設定し子供や学校、保護者を巻き込み…子供の未来にまで影響する事です。正直、許せない!!!!!
      社会的に…というのは納得出来ますが、自分が望んで無い事故と自分の欲望を満たす為に教師の立場で子供に影響を及ぼす様な身勝手な自殺とを一緒にしないで下さい。
      今の時代だからこそ、教師は生徒に命の尊さを導く指導をしている中で教育者が自らの命を粗末にする事を学校という場所を選ぶ教師の方が社会問題より重視すべき問題では無いでしょうか?
      人を運ぶ立場の人間と人(未来ある子供)を教える立場の人間とは全然、違いますし…事故と身勝手な自殺とを一緒にするのは間違ってます。
      2009/10/31該当時、保護者

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