生活指導 2011年5月号
「子どもの声」をきく―教師と子どもがつながるとき

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生活指導 2011年5月号「子どもの声」をきく―教師と子どもがつながるとき

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ジャンル:
生活・生徒・進路指導
刊行:
2011年4月5日
対象:
小・中
仕様:
A5判 123頁
状態:
絶版
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目次

もくじの詳細表示

特集 「子どもの声」をきく―教師と子どもがつながるとき
特集のことば
「子どもの声」をきく―教師と子どもがつながるとき
高橋 英児
実践
《小学校》「これでもマシ、10倍マシだよ」
川澄 宗之介
《小学校》ユリに何ができたのであろうか(6年・実践)
近藤 俊克
分析論文
《小学校》「子どもの声」が聞こえるとき―子どもが信頼できる他者となること―
今関 和子
実践
《中学校》「その人をどう観るかで、人は変わる」と教えてくれたA輝
青澤 弘明
《中学校》「すれちがうこと」だってあるさ
坂本 太郎
分析論文
《中学校》「子どもの声」をききとる―その視点と方法
福田 敦志
第2特集 どうしてますか?―遅刻・清掃・服装・持ち物の指導
【遅刻】小学校
遅刻の裏側に潜むものと集団のルール
関口 武
【遅刻】中学校
背景・事情、発達要求を十分につかみながら
栗城 順一
【清掃】小学校
「掃除を時間内にやろう」の取り組み―「みんなで協力」することの意味―
北嶋 節子
【清掃】中学校
「清掃」を利用する、利用される
上木 洋一
【服装】中学校
管理の鎖
河瀬 直
【持ち物】中学校
持ち物の指導―「持ち物を管理する」ことではない
加納 昌美
今月のメッセージ
アセスメントとプランニング
楠 凡之
私の授業づくり (第26回)
小学校〈道徳〉/友だちや学級の『よさ』を見つめる活動を授業の中で
井戸 雅
中学校〈道徳〉/「討論」による道徳授業
菊地 敬三
〜何でも言える環境をいかに提供するか〜
実践の広場
子どもの生活・文化・居場所
“子どものうそ”に寄りそう
橋 瑞穂
子どもをつなぐ活動・行事
子どもと楽しむ行事を
木島 修
いきいき部活・クラブ
実践・体感・感謝のソフトボール練習
鈴木 順雄
手をつなぐ―教師・親・地域の人々
学級通信で振り返る親との共同
佐藤 寿芝
私と集団づくりとの出会い
全生研の「集団づくり」―「これは本物だ!」と直感して
野口 美代子
案内板 集会・学習会のお知らせ
使ってみよう!実践グッズ (第2回)
教室のインテリアは変化する
溝部 清彦
若者の広場 (第2回)
私の実践紹介します
三井 雅視
〜ユウジとマコ(小2実践)〜
地域生活指導へのアプローチ (第9回)
やったね!折り紙ファイルの完成
小野 眞知子
〜子どもの力を信じる〜
読書案内
『子どもと読みたい子どもたちの詩』
竹内 常一
読者の声
3月号を読んで
シリーズ/各地の実践
東京
大島 冴子
〜冬彦と(2回連載・bP)〜
全生研第53回全国大会案内
全生研の窓
田邊 一馬編集部
編集後記
高橋 英児

今月のメッセージ

アセスメントとプランニング

指名全国委員 楠  凡之


今日、細かい行動規則による管理の徹底と、それに従わない子どもへの厳しい指導が、ゼロトレランスの流れとも関わって強まってきている。ある学習会でも、校長が事あるごとに「あすなろ運動」の推進(「あすなろ」とは挨拶、スリッパ並べ、名札、廊下を走らない、の頭文字をとったもの)を強調するなど、見かけ重視の「指導」が氾濫している現実が報告されていた。このような見かけ重視の「指導」に教師が追われれば、当然のごとく、一人ひとりの子どもへの丁寧な理解と関わりは困難になっていかざるを得ないであろう。

また、それと同時に、今日、困難な課題を持つ子どものケース会議が持たれるようにはなってきているが、会議の時間が愚痴のこぼし合いに終わってしまい、その子どもをどう捉え、どういう指導方針で取り組んでいくのかの展望が容易には見えてこない現実も報告されていた。

それだけに、課題を持つ子どもを適切にアセスメントし、そこから指導・援助の方針をプランニングしていける力量を私たちが獲得していくことが、極めて重要な課題となってきている。

なお、ここでいうアセスメントとは、子どもが現象面で何ができて何ができないか、を見ることではない。ここでのアセスメントとは、子どもの中にどのような潜在的な力や発達のエネルギーが誕生してきているのかをみていくものであり、そこから、そのエネルギーが展開していける活動と人間関係を保障していくためのプランを構築していくためのものである。

子どもは自らの発達のエネルギーを自然的、社会的諸関係の中に外在化しつつ、その関係を内面に取り込んで発達していく存在である。しかし、今日、「発達の源泉」となる生活世界を奪い取られているがゆえに、子どもの発達のエネルギーは適切な表現の通路を奪われ、様々な問題行動として表出されてしまっているのである。このような子ども観、発達観に立たない限り、今日の子どもの荒れや問題行動を力で抑え込む指導を根本的に批判し、それに対峙する教育実践を構築していくことは困難なのではないだろうか。

ところで、中野譲は、自己肯定感が低く、荒れている子どもたち(小3)の中に、「できる自分になりたい」という強烈な願いと、その「生命力とエネルギー」を読みとり、野菜づくりの実践を通じてそのエネルギーを外在化する実践を展開している。子どもたちは自分たちで竹を切りだし、ビニールをかぶせてトマトのビニールハウスを創り、「トマト、トマト、大きくなってくれよ」と歌いながら、まるで秘密基地に入っているかのようにうっとりした表情をしていたという。このビニールハウスこそが、かつてのギャングエイジの子どもたちの「発達の源泉」であった秘密基地そのものだったのであろう。そのビニールハウスは大風でぼろぼろになったが、子どもたちは「もう一度ハウスを建てたい」という願いのもと、より頑丈なビニールハウスを自分たちの手で作りあげていく。そして、その頃になると、席を立ってウロウロする子どもも勝手にしゃべる子どももいなくなっていたという。

このように、中野は、荒れていた子どもたちが本来的に持っていた発達のエネルギーを畑づくりという対象的活動のなかで展開し、集団的内部規律をもつ子ども集団へと高めていったのである。(中野譲「荒くれどもと学びを創る」『生活指導』2008年7月号)

教師という存在が、子どもたちの発達にとって必要不可欠な生活世界を子どもと一緒になってつくり出してくれる存在であると認識された時、子どもたちの教師への信頼はより確かなものになっていくのではないか。そのためにも、子どもの表面的な現象や問題行動に囚われるのではなく、その背後に誕生している発達のエネルギーを適切にアセスメントし、そのエネルギーの外在化に必要な活動と人間関係をプランニングしていける力量が今、切実に求められている。

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