- まえがき
- T 発信型授業で「伝え合う力」を育てる
- 一 「発信型授業」には二つの誤解がある
- 二 <発信>は「伝え合う力」を自覚することに始まる
- 三 <発信>は<情報読み>によって支えられる
- 四 「伝え合う力」を<定義>する
- U 「伝え合う力」を育てる「話すこと・聞くこと」の授業づくり
- 一 「話すこと・聞くこと」で「伝え合う力」を育てる
- 1 指導事項を明確化する
- 2 「話すこと・聞くこと」には三つの形態がある
- 3 三つの形態を組み合わせる
- 4 「話すこと・聞くこと」で基礎基本を養う
- 5 「話すこと・聞くこと」領域で「伝え合う力」を育てる
- 二 「話すこと・聞くこと」の基礎を養う
- 1 とどかない声、伝わらない内容
- 2 さあ、先生について来い!
- 3 「ヴォイス・パワー」で集中力を高める
- 三 発信型授業で「相手に対する配慮」を学ぶ
- 1 あなたは融和派? それとも隔絶派?
- 2 「反対の想定」が「伝え合う力」を高める
- 3 全員参加型交流システム「PCS」
- 4 「PCS」で相手意識を育てる
- 四 「伝え合う力」の核となる<聴衆分析>
- 1 僕の家においでよ
- 2 目印を取材せよ
- 3 独話で聴衆を分析する
- 4 <聴衆分析チェックリスト>を使う
- 5 聴衆の傾向をつかむ
- 6 構成を整えて本番を迎える
- 7 <教室プレゼンテーション>の成否が「総合」の成否を決める
- 五 子どもが本気になるネタで「話し合い」活動を促す
- 1 「融合型」と「対立型」
- 2 さあ、誰を選ぶ?
- 3 班員全員で「合意形成」を図る
- 4 「合意形成」できなかった理由を考える
- V 「伝え合う力」を育てる「書くこと」「読むこと」の授業づくり
- 一 「書くこと」で「伝え合う力」を育てる
- 1 「スキル学力観」に立ちたい
- 2 「言語技術教育」は子どもに学力を保障する
- 3 「論理的思考力」とは<メタ認知能力>である
- 4 「作文技術」で論理的思考力を培う
- 二 日常的な授業システムが「書くこと」の基礎を養う
- 1 ノートを構造化する
- 2 ノートの構造化は授業システム化である
- 3 「自己表現ノート」には多様なバリエーションがある
- 4 日常的な授業システムで「作文技術」の基礎を養う
- 三 <文種意識>が「伝え合う力」を高める
- 1 言語技術として<文種>を教える
- 2 <文種>に応じて再構成する
- 3 まずは徹底した「説明体験」をさせる
- 4 身近なものを短く説明させる
- 四 文学教材の<情報読み>を提案する
- 1 文学教材で<情報読み>を活かす
- 2 文学教材の<情報読み>には二つの方向性がある
- 3 「読書意欲喚起型」の<情報読み>を提案する
- 4 「表現技能獲得型」の<情報読み>を提案する
- 五 文学教材で<論理的思考力>を鍛える
- 1 印象批評、世にはばかる
- 2 虎穴に入らずんば虎子を得ず
- 3 掌中のもの必ずしも掌中のものならず
- 4 五重塔も下から組む
- あとがき
まえがき
発信型授業――この言葉を聞いて、読者の皆さんはどのような印象をもたれるだろうか。
ここではまず、私が実感的にとらえている「発信型授業」の意義について述べておきたい。
かつて私は年に一本か二本の原稿しか書かない(書く機会を与えられない)教師だった。年に一、二本の原稿を書くために全力を傾けていた。そのために一般の教師よりは、少々多くの本を読んでもいた。それなりに「読書家」を自負してもいた。そして自分なりに、教師としての自信も抱いていた。そんなに昔の話ではない。ほんの五年ほど前の話である。
二〇〇一年度、私は五冊の本と、二〇本以上の雑誌原稿と、五〇本以上の同人誌原稿を書いた。これはそれぞれ、テーマも分量もばらばらである。研究会において十数本の模範授業や講座も担当させていただいた。これらもテーマや時間はばらばらである。この年は三年生を担任していたこともあって、滅茶苦茶に忙しい一年を送った。今考えても忙しかったなぁ……、と思う。
さて、この年、私の読書量はどうなったか。あまりの忙しさに本が読めなくなったのか。
そんなことはない。まったく反対なのだ。かつて年に一、二本の原稿しか書かなかった頃と比べて、おそらく私の読書量は二〇倍ほどになったはずである。なぜか。多くの情報を収集しなければ原稿が書けないからである。がむしゃらに情報を集め、様々な観点でその情報を整理し、自分の提案をまとめ、そして発信し続けたのである。多くの発信の機会は、明らかに私の情報収集能力、情報処理能力、情報活用能力を高めた。私はそう実感している。
読書量とともに、発信の機会が私にもたらしたものがもう一つある。それは、発信の仕方、つまり言語技術の高まりである。文章を書けば書くほど、私は万人に通じる文章、教師だけに通じればよい文章、仲間内だけに通じればいい文章、子どもに伝えなくてはならない文章、などなど、それぞれの文体を使い分けるようになった。また、模擬授業や講座を担当すればするほど、知らない人たちの前で語る場合、知人ばかりの前で語る場合、仲間内ばかりに対して語る場合、子どもたちに語る場合などなど、語り分けるようにもなった。つまり、相手に応じて書き方を変えたり話し方を変えたりすることができるようになったわけだ。更には、他人の文章を読むとき、他人の話を聞くときにおいても、それまで以上に書き手や話し手のかくれた意図に思いを馳せるようになった。分析するようになった。そして、それを繰り返せば繰り返すほど、自らの成長が実感されるのであった。と同時に、今の自分はまだまだである、これからも発信し続ければ更に自らの成長を実感できるに違いない、そう自覚することができた。
「発信型授業」とはこれまで「受信」中心だった国語の授業の在り方を、常に「発信」を目的としたものに転換することによって、私が体験したような学びを子どもたちの中にも成立させてあげたい、そういった願いを込めて行われる授業だ。読者の皆さんの日々の授業に本書が少しでも役立つならば、それは望外の幸せである。
二〇〇三年一月 /堀 裕嗣
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- 明治図書