- まえがき
- 第T部 国語学習学の建設
- 第1章 子ども主体の「学習」を優先する考え方の誕生
- 1 「学校教育不信」からどう立ち直るか
- 2 ジョン・デューイの『学校と社会』
- 3 樋口勘次郎の『統合主義新教授法』
- 4 国家権力による教師への弾圧
- 第2章 教師主導の「教育」と学習者中心の「学習」の違い・T
- 1 戦前の典型的な教材「冬景色」
- 2 センテンスメソッドを生み出した芦田恵之助
- 3 教師主導型の典型としての「冬景色」の授業
- 第3章 教師主導の「教育」と学習者中心の「学習」の違い・U
- 1 奈良女高師附属小学校の合科学習
- 2 学習者中心の典型としての山路兵一の「冬景色」
- 3 渡辺茂の『国語教育史』での山路兵一の評価
- 第4章 国語学習学の原点となった大正時代
- 1 長野師範附属小学校の研究学級
- 2 池袋児童の村小学校の時間割のない授業
- 3 大正時代の自由教育が活発化した原因と限界
- 第5章 遊びの要素を授業に採り入れる
- 1 遊び心が学習の原動力になる
- 2 導入段階の指導が学習内容を左右する
- 3 総合的な学習の仕方を採り入れる
- 4 遊びは個性を映し出す鏡である
- 第6章 国語学習学と学校図書館の関係
- 1 教育改革には「脱教科書」が出発点となる
- 2 教育改革は「脱教科」を伴って本物になる
- 3 学習の個別化には「脱教室」が不可欠である
- 4 学校図書館の資料面の整備と改善を図る
- 第7章 国語学習学の全体構造の構築
- 1 話す前の準備としての読書学習
- 2 音声言語学習の諸形態
- 3 書くことの学習の諸形態
- 4 総合的な単元学習を中心とした授業
- 第8章 比較読みによって思考力を練る
- 1 学習者自身の学習目標が出発点となる
- 2 情報を比較することによって思考力を練る
- 3 情報読書能力の全体構造を提案する
- 4 複数の資料によってものを見る目を養う
- 第9章 国語学習学を担う話し合いによる思考力
- 1 話し合いには健全な人間関係が必要である
- 2 話し合うことの大切さを再発見する
- 3 音声言語生成過程のモデルに沿った学習の推進
- 第10章 話し合いの具体的な方法を提案する
- 1 「話し合い」能力の系列化を図る
- 2 教師を仲立ちとした低学年の話し合い
- 3 バズセッションを中学年に徹底させる
- 4 パネルディスカッションのルールを決める
- 第11章 コンクール作文に作文教育の活路を見出す
- 1 作文教育の不振からどうやって抜け出すか
- 2 「夢作文コンクール」の幼児の作文
- 3 「大滝ダム見学新聞コンクール」の記事
- 4 作文教育の新しい方向を考える
- 第12章 総合化の中で生きる国語学習
- 1 「総合化」の意味を問い直す
- 2 子ども自身の生活の再発見
- 3 総合化は教科の再編成を促している
- 4 確かな学力を保証すること
- 第U部 国語学習学に対する私の提案
- 第1章 学習者主体の考え方を強調する
- 1 国語科の現状に危機意識を持つ
- 2 総合単元学習を推進する
- 3 文学的文章教材の指導を見直す
- 4 漢字指導を見直す
- 5 古典指導を見直す
- 6 書写指導を見直す
- 第2章 新しい国語科に必要となる指導力
- 1 教師は教える人から支援する人に移行する
- 2 読解偏重の授業を転換させる
- 3 論理的に述べる音声言語力を養う
- 4 目的に応じて読書する力を養う
- 第3章 コミュニケーション理論による表現学習
- 1 コミュニケーション理論の強調
- 2 表現学習の強化
- 3 音声言語教育の新しい方向
- 4 作文教育の新しい方向
- 第4章 総合的な音声言語力を高める学習
- 1 音声言語教育の必要性
- 2 入門期の「口頭作文」
- 3 「イメージ化」を活発にさせる
- 4 「せりふ化」を促し「動作化」を楽しむ
- 5 「劇遊び」・「劇化学習」に取り組む
- 6 対話の力を伸ばす「対話劇」
- 第5章 中身を蓄えてから話す習慣を養う
- 1 中学時代の話し合いの思い出から
- 2 話し合う前に材料の準備をする
- 3 話し合いの基本である「対話」の指導
- 4 話し合いの発展としての「会話」の指導
- 5 総合単元の中の話し合い学習
- 第6章 情報活用能力を育てる学校図書館
- 1 情報活用能力の枠組み
- 2 学校図書館の体制づくり
- 3 情報活用学習指導のポイント
- 第7章 作文教育に未来はあるか・創作学習の提唱
- 1 作文教育が沈滞してしまった原因
- 2 創作学習の活性化を望む
- 3 創作学習の実践例
- 4 創作学習の体系化を図る
- 第8章 新学習指導要領の検討と批判
- 1 2領域を3領域に変更したことについて
- 2 「総合的な学習」の設置
- 3 「話すこと・聞くこと」について
- 4 「読むこと」について
- 5 「言語事項」について
- 第V部 先覚者の国語学習学的な提案に学ぶ
- 第1章 一斉授業から個別学習への転換を図る
- 1 「河野照治」の紹介
- 2 テキスト<一斉教授より個別学習の建設へ>
- 3 河野照治の論の注目すべき点
- 4 キーワードの解説
- 第2章 学校図書館の整備
- 1 「木下竹次」の紹介
- 2 テキスト<学習原論(一二)環境の整理>
- 3 木下竹次の論の注目すべき点
- 4 キーワードの解説
- 索引
まえがき
平成の教育改革は,平成10年版学習指導要領の実施によって一段落した。しかし,「2010年をめどに義務教育の登校週三日を目指す」という,「二十一世紀日本の構想懇談会報告書」(平成12年1月18日)が出るに及んで,これまで以上に大きな改革がやってくることが予想できる。大きな変革がやってくるから,それに備えて対応策を準備しなくてはならないという思いに駆り立てられるのは,私だけではあるまい。
国語科には,学習活動を第一義とすることによって言語力を身につけさせようとする面と,言語能力そのものを重点的に育成することを第一義とする面とがある。今後に予想される教育改革の進展によって,国語科という名称がなくなってしまうようなことがあっても,この国語科の二つの面は,学校教育が存続していく以上,消し去ることはできないはずである。
呼称がどのように変わるにしろ,学習活動を主とする面は「総合的な学習」に統合され,言語能力を育成する面は「基礎的な学習」として位置づけられると私は考えている。本書を構成するにあたって,私はこのことを念頭において論を進めた。
時代の変化に対応して教育改革が進行して,学習者主体の教科構造に転換する速度が速まると,教師は「教える人」から「支援する人」に転換する速度も速くならざるを得なくなる。この考え方そのものは,平成元年版学習指導要領から実施されていることではあるが,まだ教育現場には徹底していない。いまだに,教師主導型の一斉授業に傾いている学校が多いことが,国語科教育の前進を遅らせている元凶となっている。
教師が主役の座から脇役の座に移ったからといって,教師のすべき仕事が軽くなって教師がひまになってしまうわけではない。むしろ,これまでよりも質的に高度な専門性が要求されるはずである。これまでは教科書教材に頼りきった指導目標に従って授業を進めていけばよかったのに,これからは子どもの個別の学習目標につき合って,必要に応じて対応していかなければならなくなるからである。
学習者中心の授業を進めるとなると,個々の学力差に即応しなければならなくなる。子どもたちが主体的な学習に習熱して,独自性を発揮するようになりだすと,授業は多様化してくるから,教師は,子どもたちの授業に対する取り組みやつまずきに対応していかなければならなくなるはずである。
いつの世でも,我が子が担任の教師に恵まれるか否かは,親たちの大きな関心事である。公立小学校に我が子を入学させるに際して,親が学校を選択できる試みが実施されつつあるが,学校選択の基になるのは教師の指導力である。いずれ,学校選択の自由だけでなく,担任教師選択の自由の問題も現実のものとなるかもしれない。
こうなると,教科指導の面だけでなく,学級経営の面,生徒指導の面など学校教育の全般にわたって,教師の指導力がクローズアップされることが予想される。もちろん,学校教育を評価するためには,教育環境の面を始めとするいくつもの観点が必要であるが,教師の指導力如何は特に重要な関心事となるはずである。これまでの教師の指導力の中心は教材研究に傾きがちであったが,これからは学習者研究が先行し,子どもたち個々と対応するための教材研究が欠かせなくなるはずである。
本書の性格を明らかにするために,三つのキーワードを挙げて,本書で私が言おうとしているところを明らかにしたい。
<学習者主体>
私はこれまで43年にわたって国語科の教師をしてきた。小学校を3年・中学校を30年・大学を10年であるが,この経験を通して,学習者であるべき子どもたちが授業の主役になるように努力してきた。しかし,画一的な教科書教材を中心教材として学習する限り,教師主導型の一斉指導の理解学習が主となったし,中間テストや期末テストがある限り,記憶力優先のテストにならざるを得なかった。
こんなことでは,学習者は教科書なり教師なりに従属する立場でしかなく,子どもたちの主体性は育つはずはなく,主役であるとはいえない状態に放置されたままになってしまう。そこで,子ども自身に学習目標に合わせた教材研究をさせたり,テスト問題を作らせてそれを期末テストに採用したりしてみた。単元ごとに学習目標を考えさせ,学習事項を自覚させるようにした。そうすることによって学習意識を高めようとしたのである。
<国語学習学>
「教育」という言葉は「教え育てる」という意味が主であり,教師主導型を離れることはできにくい。「学習者主体」の考え方を進めていくためには,あえて新しい言葉の「学習学」という概念を登場させる必要があると私は考えたのである。
しかし,子どもたちは発展途上人であって,教師の指導と援助なくしては望ましい成長を遂げることは望めない。学校教育の必要性もこの点にある。教師主体ではなくなったからこそ,真の意味での「個々の子どもたちに対応する指導力」が必要となるのである。このような考え方は今後形成していくべき未開拓な面として残されている。
<調べ学習>
子ども自身が学習目標を立てて学習を展開していくとなると,学習方法としては「調べ学習」の形態が多く使われるようになる。充実した調べ学習を展開していくためには,学習環境としての学校図書館がしっかりしていないと効果的な学習は展開しにくい。未熟な子どもたちにとって「話し合い学習」の質的な高さと,資料を比較し検討する力の育成が最優先する。
そのためには,「何がどうして大切なのか」という問題意識を育てていかなければ,学習の原動力となるエネルギーが生まれないし,持続させられない。応援団としての教師の指導力の重点はこの点に注がれなくてはならない。私が本書の書名を『新国語科に必要となる指導力』とした理由もこの点にある。
国語科の内容そのものも大きく変わるはずであるから,読者各位は,本書で私が提示した内容を検討されて,それぞれの「新国語科像」を形成していただきたい。そして,「新指導力」についても読者各位の独自で最善の案をお考えいただきたい。本書のサブタイトルを『―国語学習学の建設―』とした意味も,本書を読み進められる中でお考えいただきたいし,賛成なり反対なりのご提案をいただきたいと願っている。
本書ができるきっかけとなったのは,明治図書編集部の江部満さんから,月刊誌「教育科学国語教育」に,増田さんの国語教育論を連載してみないかとお誘いを受けて,一年間連載させていただいたことにある。国語教育を研究している者にとってこのような発言の機会を作っていただけることはうれしいことである。連載が終わりに近づいたころ,江部さんから,反響が大きかったから,連載したことを中心にして一冊の本にまとめたらどうかと,再度声をかけていただいた。それでできたのが本書である。
本書の第T部は連載のときの順序を多少修正して,「国語学習学」の筋道をすっきりさせた。第U部と第V部は,私の奈良教育大学在職中に,巳野欣一氏を中心とする奈良県の研究仲間と国語教育理論研究会をつくって,そこで講義させていただいた中から,10回分を選んで載せた。第V部の歴史研究に属するものの多くは,紙面の都合で割愛せざるを得なかった。
明治図書編集部をはじめ,多くの方々のお力をいただいて,本書が出版できたことを心から喜びたい。
平成12年5月 /増田 信一
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- 明治図書