- 序論─国語教育に声の復権を
- 一 「話すこと・聞くこと」の授業の戦略
- ─効果的な活動を目指して
- 二 「聞くこと」の授業構想
- ─学びの意欲を引き出すために
- 三 国語科における声の復権の方策を求めて
- ─「話しかけのレッスン」のことなど
- 四 歌詞を用いた授業の可能性を探る
- ─日本のうたの教材化を求めて
- 五 聞き書きの授業開発
- ─フィールドワーク導入の試み
- 六 演劇で目指す声の復権
- ─国語科で演劇をどのように扱うか
- 七 授業に生かす声の活動
- ─録音機器の活用で理解と表現をつなぐ
- 八 話し合い学習の展開
- ─声のコミュニケーションの確立に向けて
- 九 声を生かした韻文の授業構想
- ─朗読・群読で詩歌への関心を育てる
- 一〇 読み聞かせを楽しむ
- ─絵と映像を活用した授業の試み
- 一一 声の活動のための授業開発
- ─興味・関心喚起の方策を探る
- 一二 ことばの温もりに触れる
- ─国語教育に「癒し」を求めて
- 一三 サブカルチャー教材の開拓
- ─授業活性化のための戦略として
- 一四 中学生と演劇を楽しむ
- ─国語教育の戦略として
- 一五 言語と映像の接点を探る
- ─国語科メディア・リテラシー教育の一環として
- 一六 言語化能力を育てる表現指導
- ─映像を用いた授業構想
- 一七 声の復権をどう実現するか
- ─国語教育の活性化に向けて
- 初出一覧
- あとがき
序論―国語教育に声の復権を
1
子どもたちのコミュニケーションのあり方が変容している。特に携帯電話の普及が、「メール」というコミュニケーションの方法を定着させたことには注意が必要である。いまの子どもたちは、携帯電話を抜きにした生活が考えられない。彼らは携帯電話を通して、仲間うちでのメール交換に熱中する。そこにあるのは仲間との連帯感の確認である。彼らは異質なものを好まない。それは例えば、同じブランドのベストやマフラーを身に付けるというファッションにも端的に表れている。
仲間うちで常につながっていたいというメールの文体には、相手に対する「甘え」の意識がうかがえる。「絵文字」を多用するところなどは、まさに「甘え」の感覚の象徴と言えよう。そのような「甘え」の根底に、いまの子どもたちの「孤独」を垣間見ることができる。だからこそ仲間とつながっていたいという意識が強く、携帯電話でのメールによるコミュニケーションを求めるのであろう。そこでこのような実態を考慮したうえで、改めて「ことば=声」によるコミュニケーションのあり方を考えてみたい。
人類のことばの歴史からしても、コミュニケーションの原点に「声」があることは明白である。そして「ことば=声」によるコミュニケーションは、本来相手の「顔が見える」という身体性を伴っている。直接顔を合わせて、相手の表情や仕種などを確認しながらことばを交わすことが、コミュニケーション成立の基盤となるはずである。ラジオやテレビに加えて電話やコンピュータなどのメディアの普及によって、身体性を伴うコミュニケーションの位置が危うくなってしまった。ことばの教育を直接担う国語科では、このような現実にしっかりと目を向ける必要がある。
国語科の授業において、身体性を伴う「ことば=声」の復権を通して子どもたちの「孤独」を癒しつつ、彼らのコミュニケーションをより豊かなものへと導きたい。それは国語教育の活性化へと直結するはずである。
2
まず、教室におけることばの環境に着目してみたい。国語教室が沈黙もしくは雑然とした私語に支配されているとき、教師はどのようなことばで子どもたちに語りかけたらよいのだろうか。ニュースの決まり文句のような言説からコミュニケーションが生まれることはない。教師の仕事は、可能な限り一人ひとりの子どもとの対話を通して、教室にコミュニケーションが成立するような環境を少しずつ着実に築き上げることである。発表する際の顔の向きや声の出し方から始まって、人の語ることばを注意して聞くという方向性の確立に至るまで、根気強くかつきめ細かく指導しなければならない。そして何よりも教師と子どもたちとの信頼関係の構築が、教室環境を整える際の最も重要な要因となる。授業の前提としての教室環境作りが十分に成立しない限り、教室が活性化することはない。教室は、教師も子どもたちも相互に「顔が見える」場所である。このコミュニケーションの原点とも言える特性を生かしたことばの環境を、ぜひ確立しておきたい。
教室におけることばの環境が整備されたなら、今度は魅力ある授業内容の創造が課題となる。具体例として「聞き書き」と「演劇」を取り上げてみたい。いずれも、総合学習としての広がりを有する「ことば=声」の学習が主体となっている。
聞き書きでは、人と直接会って話を聞くという形態が取られる。まさに「顔の見える」関係の中で直接相手に語りかけ、相手の話を引き出すように能動的に聞かなければならない。聞き書きを通して、子どもたちが閉ざされた仲間うちという場所から一歩踏み出して、新しい人間関係を構築するきっかけをつかむことができる。聞き書きの実践を通して、彼らが直接「ことば=声」によって相手に語りかけ、相手の語ることばに真摯に耳を傾けてそれを記述するという活動が成立する。そこには、コミュニケーションの原点に即した国語科の授業が実現されている。
演劇の学習は、国語教室から次第にクラブ活動という場所へと移行するようになった。かつては教科書に収められていた戯曲も、いまではほとんど影を潜めてしまった。国語科の授業での扱いが困難になったというのも事実であろう。しかしながら、「ことば=声」の教育の復権ということを考えるとき、演劇を国語科に呼び戻す努力が必要となる。音読・朗読・暗唱が見直されつつある今日、それらの要素を総合する演劇の国語教育における意味をぜひ再確認しておきたい。
子どもたちのコミュニケーションのあり方を見詰めながら、ここで再度原点に戻ってみたい。評価も含めて、教師も子どもたちもともに「顔の見える」関係を大切にするべきである。「ことば=声」の力を改めて見直しつつ、それを育成する国語教育について問い直すことがいま求められている。
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- 明治図書