- まえがき――教師としての矜持の回復と教師力の向上
- 1 師道再興
- 教師として不可欠な「使命感」と「職務遂行力」
- 現在の教師は大丈夫か
- 「師道」の再確認
- 今こそ「師道」の再興を
- 2 今、教師に求められているもの
- 「教師力」が軽視された時期の反省から
- 「教育再構築」の動きと「教師力」の意義の再認識
- 一九九七年の教育職員養成審議会答申
- 二〇〇五年の中央教育審議会答申
- 絶えざる研修の必要性
- 現実の学校教師のあり方に対する批判の受け止め
- 3 真の授業力とは
- 良い授業とは何か
- 子どもの心をつかむ力
- 学級づくり
- 目標と見通し
- 指導計画づくり
- 形成的評価のポイント
- 臨機応変の力量
- 教師の感化力と自分づくり
- 4 内面世界を重視した教育
- 「内面性の教育」で「確かな学力」を
- 教育において内面性を重視しなくてはならない理由
- 5 教師批判を直視する
- 「外れ」の教師の問題
- 教師一般に見られがちな(職業病的)問題
- 一部の教師に対して過去にあった強い批判
- 教師批判にどう応えていくか
- 「教えない」先生で教育できるのか
- 「戦後新教育」は根本的間違いとの指摘に耳を傾けたい
- 戦後新教育の亡霊の復活としての「ゆとり教育」
- 「確かな学力」と「教師の力量」と
- 6 教師としての不易の資質
- 人間的社会的に成熟している
- 教育的関係を築くことができる
- 教科等の指導がきちんとできる
- 学級等を一つの集団として指導できる
- 教養ある知識人として常に学び続ける
- 附1 教材研究を深め活動主義の乗り越えを
- ―千代女と芭蕉の句を例として
- 加賀千代女の句「朝顔や つるべ取られて もらひ水」で何に気付かせるか
- 松尾芭蕉の句「古池や 蛙飛び込む 水の音」の場合は?
- 俳句・短歌・詩を授業で取り上げる際のねらいと扱い方は
- 「テキストの空間」をきちんと踏まえた読解や鑑賞を
- 「ごんぎつね」を読む際に
- 附2 開示悟入の教育のために
- 子どもたちに自ら学ぶ意欲を
- 開と示と悟と入と
- 開く
- 示す
- 悟らしむる
- 入らしめる
- 土台としての雰囲気づくり
- あとがき
まえがき――教師としての矜持の回復と教師力の向上
日本の教師は、いつの間にか世の中の多くの人から尊敬されなくなった。安倍内閣の時の教育再生会議の委員たちが強調したように、教員免許のない民間の人に入れ替えないと学校教育は救われない、というほどの蔑視と軽視を一部から受けるほどである。
この根源には、六〇数年前の日本の敗戦から始まった専門職業人としての教師像の崩壊と教師自身の使命感の放棄、という悪しき流れがあることは否めない。「聖職」であることの否定に力を入れすぎ、「労働者」であるとして専門知識人としての矜持までをも否定する風潮が見られた時期もあった。また、子どもに学習意欲が見られない、学力がつかないということを、何よりも家庭の責任であり地域や社会の責任であると口にして、教師や学校は被害者であるかのような顔をしたがる無責任な姿勢も、地域によっては時に色濃く見られた。さらに言えば、薄っぺらな「子ども中心主義」を高揚し、「教えない」ことをもってよしとする言説が繰り返し聞かされた時期があったことも、教師を専門家として見るという一般的認識が崩壊していく上で大きな力を持ったことは否定できない。
子どもの教育についての使命感も力量も欠いたまま、教師優遇の社会的風潮(=儒教的伝統)にあぐらをかき、待遇のみは一般職業人よりも上であるべきとの要求を出したところで、それは「教師の甘え」であるとして社会的支持を受けることはできない。気楽で安易で素人臭い教師が教壇に立っていたのでは、日本の社会の将来も、一人ひとりの子どもの未来も、暗澹たるものになる。こうならないためには、何よりもまず、「教師は子どもの成長発達に責任を持つ専門職業人である」という大前提を再確立することである。
もちろん、人間は生来、身体的にも知的にも道徳的にも成長発達していく姿勢と力を内面に秘めている。しかし、その成長発達を着実な形で実現していくためには、教師に代表される専門家の関わりが必須の意義を持つ。一人ひとりの成長発達への姿勢と力が発揮できる場を準備し、自分なりの取り組みと努力を方向づけ指導していくための高度な専門職業人が不可欠なのである。この具体的な場が学校であり、専門職業人が教師であることは言うまでもない。こうした認識を、教師の養成や研修、待遇や勤務形態、採用や配置等々に関する改革方策を論じる際の基本的な土台にすべきであろう。
学校教育は我々の社会と一人ひとりの子どもの未来を創る仕事であり、それを責任を持って担う存在こそ教師である、という原点に、教師個々人が、そして社会全体が、もう一度きちんと立ち返ることが、今こそ必要とされるのではないだろうか。
/梶田 叡一
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- 明治図書