- まえがき
- 第1章 新たな雇用社会の中で
- 1 少子高齢化社会
- 2 景気が悪くなると
- 3 非ジョブ型
- 4 学生の面接
- 5 学歴信仰の崩壊
- 第2章 生き残るための教育とは
- 1 落ちた学生の進路
- 2 クビにならないように,クビになったら
- 3 生活保護を得られるために
- 第3章 エリートの教育とは
- 1 エリートの即戦力
- 2 PISAとノーベル賞
- 3 スーパーグローバル大学
- 4 アメリカのトップ大学の入試
- 5 企業は既に取り入れています
- 6 準備は整っています
- 第4章 アクティブ・ラーニングとは
- 1 答えを創造する能力
- 2 多くの子どもにとってのアクティブ・ラーニング
- 3 倫理は教科学習でこそ学べる
- 4 知識量のみを問う「従来型の学力」を上げる
- 5 『学び合い』
- 第5章 アクティブ・ラーニングの実践例
- 1 答えを創造する能力を育成する
- 2 教科学習だからこそ得られる社会的能力
- 3 教科学習だからこそ出来る倫理の育て方
- 4 多くの子どもが必要としている仲間
- 5 「従来型の学力」の実態
- 第6章 メインプレーヤー復活
- 1 真のジョブ型教育
- 2 本来の教育
- 3 特別支援
- 4 オンリーワン
- 5 婚活教育・育児・介護
- 6 パラダイス
- 7 読書ガイド
- あとがき
まえがき
アクティブ・ラーニングは方法には縛りがありません。従って,日本中で言われている「今までの実践上の延長線上でいいんです」という言葉はあながち間違いではありません。しかし,それを言っている人,言っている組織が,アクティブ・ラーニングが導入される背景,意味を理解しているとは,失礼ながら思えないのです。なぜなら,言っていることが,常に「学校村」,「教育村」の範囲を出ていないからです。
私は必死になっています。なぜなら,このままの「やったふりアクティブ・ラーニング」が広がったならば,取り返しのつかないことが起こってしまうからです。私は言葉通りの意味の「生死」に関わると思っているからです。
本書では「学校村」,「教育村」から一歩も,二歩も出たいと思います。そこからアクティブ・ラーニングを見直すと,アクティブ・ラーニングの恐ろしさと重大性が見えてきます。そのことを一人でも多くの方に理解していただき,一人でも多くの子どもが幸せな人生を全う出来る日本にしたいと思っています。
文部科学省は色々と表現を変えていますが,最も明確な定義は平成24年8月に中央教育審議会が出した「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて〜生涯学び続け,主体的に考える力を育成する大学へ〜(答申)」の中にあります。以下の通りです。
教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり,学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって,認知的,倫理的,社会的能力, 教養,知識,経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習,問題解決学習,体験学習,調査 学習等が含まれるが,教室内でのグループ・ディスカッション,ディベート,グループ・ワーク 等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。
この定義をどのように読み取るかは人それぞれです。
「結局,何をすれば良いの?」と思う人は定義の中の『発見学習,問題解決学習,体験学習,調査 学習等が含まれるが,教室内でのグループ・ディスカッション,ディベート,グループ・ワーク 等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。』に着目するでしょう。
もう少し一般性を求める人は『教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり,学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。』に着目するでしょう。
しかし,いずれもアクティブ・ラーニングを方法レベルでとらえています。そして,思いつけるだけの方法を列挙し,最後に「等」をつけ,「総称」でまとめているところに着目し,方法に縛りがないことに安心します。そして「今より,少しでも子どもが関わる場面を保証すればアクティブ・ラーニングだ」と思います。
学習指導要領の範囲内でアクティブ・ラーニングを理解しているならばそのような解釈も可能です。しかし,上記の定義の中に「認知的」と同時に「倫理的,社会的能力」が並列していることを見逃します。それはなぜかを探れば「社会人基礎力」や経済・産業界の提言に至ります(PISA型能力とか,二十一世紀型能力ではなく)。そして,学習指導要領だけではなく文部科学省の施策全般を俯瞰すれば,アクティブ・ラーニングとは『今後の社会で活躍できる社会人(エリートとジョブ型)に子どもを育てる教育』であり,直近の課題として,『日本のトップ大学をアイビーリーグ化するための教育』であることに気づきます。少なくとも進学校の教師と保護者は既に気づいています。
前著(「アクティブ・ラーニング入門」)ではそのことを中心に書きました。本書ではそれを一歩進ませたいと思っています。
なぜ,強引とも思えるように文部科学省が全力でアクティブ・ラーニングを推進しているのでしょうか?それを理解するには,文部科学省を超えて,政府の施策全般を理解しなければなりません。本書はそこを中心に書いています。
もし今後の雇用社会の厳しさを理解し,トップ校以外の子どもの将来を心配するならばアクティブ・ラーニングの定義は,『我が子が,教え子が三十年後,四十年後に餓死・孤独死することなく,豊かな人生を全うするための教育』となります。
多くの教育関係者がアクティブ・ラーニングと考えている『発見学習,問題解決学習,体験学習,調査 学習等が含まれるが,教室内でのグループ・ディスカッション,ディベート,グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。』とは次元が違います。
この段階では「なにを大げさなことを言っているんだ」と思われるのも当然です。実は,私自身も初めてアクティブ・ラーニングという言葉に接したときは,『また,言葉遊びになるんだ。「総合的な学習の時間」,「生きる力」,「言語活動の充実」で起こったこと,そして,「道徳の教科化」で今起ころうとしている骨抜きや形骸化が繰り返されるだけなんだろう』と思っていました。
しかし,様々な本を読み,様々な人と話し合う中で,とんでもない状態に「既」にあることを知りました。そして,アクティブ・ラーニングとは,「既」に確定済みのことを追認しているに過ぎないことを知りました。
認めたくないですが,アクティブ・ラーニングをどうこうする権限は,教育に関わる者にはありません。我々の出来ることは,子どもたちが一人でも多く生き残れるために,「既に決まっていること」の中で何が出来るかを考え,行動することです。
本書を読み終わるとき,私が生死に関わると申したことが本当であることが分かると思います。そして,現在の言葉遊びのアクティブ・ラーニングが子どもたちの将来に危機をもたらすことを理解していただけると思います。
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