- ちょっと長いまえがき
- 第1章 教室に癒やしと和みを
- 1 学力向上に最も効果があるのは
- 2 やる気の出ない子どもたち
- 3 やる気を引き出すには
- 4 やる気を引き出す装置としての教師
- 5 「癒やし・和みの技」の力
- 6 技の効果を引き出すマインド
- 第2章 マンガで直伝! やる気を生む「癒やし」と「和み」のワザ
- 1 私って、こんな人間なんですよ
- (1)年度初めの自己紹介
- 小林です@/小林ですA 他
- (2)子どものかまい方・性格
- だまし/狙ったらのがさんよ。/算数でチクチク/似てるけどちがうっす!/条件反射?/しめしがつかない…/告られた?/どう思います?/さらに子どもたちに聞いてみたこと/フェイカー/レベルが高すぎたか…/理解しておくれ/テストにて…/Answer?/六送会にて/学校生活のお約束?/小さいこだわり…/金山にて/ダメ! ゼッタイ!! 他
- 2 子どもたちってこんな感じなんですよ
- (1)ちょっと気になる学習のこと
- ながらNO!/テストより…/ことばたらんよ…/新しい単位ですよ…/四字熟語/忘れ物はゆるさんぜよ。/珍解答/忘れ物@/忘れ物A/使い分け…/本当に覚えたの??/テストを見て…/認めるんかい/タバコか…/体育授業のお約束?/ショッキングな文/ハズレまくり…/そうじゃない/テスト中のこと…/ハチって…/それよりもこっちを買いなよ/こんな農家、NOか?/ちょっとちがうんだわ…/いろいろな言い方です…/ダメ! ぜったい! 他
- (2)ちょっと気になる行動や言動のこと
- ドキッ/思春期してますか?/私はヒトですよ…/今は何をするときかな?/言葉足らず@・言葉足らずA/ポケット団/自己診断/自己診断つづき/成長の一つ…か?/がんばろう六年生/子どもに見る「フシギナコト」/辞典を引いてみようね。/手洗いの後/超常現象じゃない/配りました。/ため息/勝手に流行語大賞/不公平だぞ!/がんばっています!/新語? 他
- 3 クラスの様子って、こんな感じなんですよ
- ほぼ六年生/かんちがい/それはちょっと…/風の影響/ねらってんのか…?/おたより/だいそうさく/だいそうさくの結果/両津港にて/なにがなんデモ?/ちがうぞ/説得力あまりなく…/どんなんだソレ…/びみょうな気持ち/なわとび記録会 長なわの前…/さみしかったろ?/教科書・ノート配付/子どもの発想…/いないときはどうする?/韓流★/そりゃないよ… 他
- 4 おまけ―私が子どもだった頃・私のプライベート―
- ヒゲアソビ/デパートにて/恩師と飲んだこと/ショップにて/成長新聞をつくるにあたって…/秋が来れば思い出す〜♪/たしかに…/マラソン大会の思い出/一年生教室にて/日本語は難しい/夢/最下位の朝/そう…じゃねいろ/料理のきっかけ。
- あとがき
ちょっと長いまえがき
教室というところは実にいろんなことが起こります。私も元は小学校教師でしたので、その日々を理解しているつもりです。それを日常と呼んでしまえばそれまでですが、教室の日常の一瞬一瞬はとても濃密です。トラブルや胃の痛くなるような事件が起こることもあります。また、一方で子どもたちは私たちの投げかけたことを結果としてすぐに投げ返してくれるので、それが大きなやりがいでもあります。計算のできない子どもができた、人前で話すことが苦手な子どもが話した、犬猿の仲のように見えた子どもたちが協力した、などのことはそれはもう、一つ一つがドラマと言っていいほどの感動をもたらしてくれます。
そんな日常と別れを告げ、今は教員養成にかかわっています。小学校教員から大学の教員になって自分の学級がなくなったことは残念なことでしたが、それと交換に実に多くの教室を見せていただく機会を得ました。数々の教室でやはり、素晴らしいドラマが起こっていました。私がかつて体験したような、いや、それ以上の。どうして子どもたちはこんなことができるんだろう、どうやったら子どもたちがこんなに育つのだろうかと、不思議に思うような教室もありました。
そこで気付いたことの一つに、次のようなことがあります。
すごく厳しい先生は、ものすごくあたたかい指導をしている。
ということです。学力も高く、授業では子どもたちが伸び伸びと自分の意見を表現し、生活面でも誰もが一心不乱に清掃し、給食などもお残しがなくきれいに平らげるような学級を見ました。その教室では教師が命令したり怒鳴ったりすることはありませんが、徹底した指導が厳しく実行されていました。
徹底した指導がなされているのに、子どもたちは萎縮するどころか実に伸び伸びとしていました。
なぜなのでしょうか。その要因の一つが、ルールを徹底していることでした。特に、人間関係においてやるべきこととやってはいけないことがよく理解されていました。子どもたちの行動について、教師がいちいち口出しするのではなく、ある一定の行動様式が身に付いているのです。それでもトラブルがないわけではありません。やはり時々は、喧嘩のようなことが起こります。むしろ教師はそれを待っているようでもありました。ただ、ルールが徹底されているから、トラブルが起こっても重篤な事態にはならないのです。むしろそれが課題解決の体験となり、学級集団の成長の機会になっているのです。
ルールが徹底されることにより、教室に安心感が生まれています。安心しているから子どもたちは伸び伸びと行動できるわけです。伸び伸びしているからこそ、トラブルも起こせるわけです。そして、ルール、つまり共通の行動基準があるからそこに照らし合わせて解決できるわけです。
しかし、ルールはそう簡単に定着しないことは多くの方が知っています。それを実現しているのが実は、厳しい指導の対極をなすあたたかい指導だったのです。このあたたかさがあるから、子どもたちは厳しい指導についていくことができるのです。ルール指導は難しいし時間がかかります。しかし、このあたたかさが子どもと教師の関係を近付け、教師の指導力を高めていました。
そのあたたかい指導にも様々あります。私の出会った指導力のある教師たちは、子どもたちに緊張感のある指導もしますが、同時に一息つかせたり、安心させたりする名人でもありました。ウケない冗談を言ってみたり、誰よりも大きな声で笑ったり、コスプレをしたり、とにかく「人間くさい」のです。厳しい表情もしますが、
基本的に肩の力が抜けていて上機嫌でした。
そうした子どもたちにほっと一息入れさせ安心させる技術を「癒やし・和みの技」と名付けました。指導力のある先生は、「癒やし・和みの技」をうまく使い、自分の指導力を高めていると気付いたのです。
そんなとき、小林治雄氏が自身の学級でまとめていた文集を目にしました。そこに描かれた秀逸な四コママンガのクオリティの高さに驚きました。あたたかくユーモアがあり、そして教室の日常を見事に描いていました。学校、特に小学校の教師ならば、「あるある、そうそう。」と頷きたくなるものが満載でした。学級通信に載せていたということですが、あれを配布するだけでも、教室に癒やしと和みを与えたことでしょう。また、教育技術という面から見ても、小林氏と子どもたちのさりげないやりとりから、教師と子どもがつながり信頼関係を構築していく様々な技術が読み取れました。一つ一つのマンガの内容、ネタも素晴らしいですが、マンガから伝わる「空気感」みたいなものにとても魅力を感じます。
教師は教室の空気の統率者である。
と言われますが、教師が教室の雰囲気に及ぼす影響はそれはそれは大きなものです。それを意識する教師は少ないようですが、子どもたちは、教室の雰囲気にとても敏感です。それも教師が醸し出す雰囲気にとてもよく反応します。教師が忙しくていっぱいいっぱいだとトラブルがよく起こることや、教師が笑顔で過ごしていると子どもたちも笑顔だったりする経験をお持ちの方はたくさんいることでしょう。
統率というとグイグイ引っ張る印象を受けますが、そうした緊張感だけでは子どもたちは疲れてしまいます。ほっとするような空気も必要です。ほっとする空気も実は教師がつくってやる必要があるのです。小林氏のマンガからは、ふっと肩の力が抜けて、ほっとするような教室の「空気感」が伝わってきます。
私は拝読するなり、すぐにこれを本にしたいと思い小林氏と連絡を取りました。小林氏は小学校の教師であり、専門教科が体育です。また、地元では優秀教員(新潟市マイスター教員)として認定されており、その指導力は折り紙付きです。しかし、その人物像は飄々として、肩の力が抜けていて上機嫌であり、私が出会ってきた実力派教師の姿そのものであります。その彼から繰り出される「癒やし・和みの技」をご堪能いただきたいと思います。
実は、小林氏と私はある「特殊な関係」にあります(ありました?)。彼は、私が大学生の頃アルバイトしていた塾の「教え子」です。私も子どもの頃に通っていた学習塾で、講師と塾生として出会いました。その塾はちょっと変わっていたかもしれません。今思えば、塾長が本当に変わった人でした。学習塾なのに、室内に卓球台や少年誌が置いてありました。塾生たちは授業が始まるまでマンガを読み耽り、授業が終わると卓球に興じていました。
子どもの頃やっていたように、私も授業が終わると彼とよく卓球をしました。スポーツ万能の彼には、一度も勝つことができませんでした。塾長はその人柄も変わっていましたが、授業も変わっていました。今は、学習ゲームなんてものは学校のどこの教室でも取り入れられていますが、昭和四十年代から既にこの塾では授業のまとめはゲームでした。一番よくやられたのが国盗りゲームで、簡単な日本地図を黒板に描き、その日習ったことをクイズ形式で出します。答えられると陣地が増えます。個人戦もあれば、チーム戦もありました。私たちはそのゲームに夢中になりました。時間がなくて「今日はゲームなし」、なんて言うと時間を延長してもいいからと要望しました。中学に入ったとき、友達が絶対知らないような英単語を多数知っていたのはここでの学習経験が無縁だとは言えないでしょう。
この塾には、もう一つ、驚くべきことがありました。それはキャンプと合宿です。現在もこうした宿泊体験をする塾もあるでしょう。また、学校も修学旅行や自然体験学習などで宿泊を伴った行事はあります。それだけだったら特に珍しくないかもしれません。異質だったのは、その行事の在り方です。現在、宿泊行事をやろうものなら規則をきっちり決め、それを遵守するように時間をかけて指導するでしょう。しかし、この塾では、そうしたルールの事前指導は一切なく、いきなり現地に出かけて食料も現地のスーパーなどで購入し、四日間を過ごします。
まさに「なすがまま」の「やりたい放題」でした。だから、修学旅行では絶対にできないような空腹感や寒さなども味わいました。とんでもない失敗をして塾長にこっぴどく叱られたこともありました。ルールと言えば特別なことはなく、社会のルールを守ることがルールだったように思います。
塾長はその一線を越えるようなことに関してはかなり厳しかったです。でも、毎年のように参加していたということは、それだけ魅力的な時間だったということでしょう。今考えてみればこの塾長も「すごく厳しくてあたたかい」人だったかもしれません。ただ、塾長は学校からは評判がいまいちでした。経営方針が自由過ぎたのかもしれません。しかし、塾生からはとても支持されていました。親が反対しても通う子がいたくらいです。
学校教育とダブルスタンダードで進行していたこの塾で過ごした数年間が、私の授業観や教育観に少なからず影響を及ぼしているのではないかと思っています。この塾の授業では、黒板にマンガを描く、授業中にクイズを出す、授業中に遊ぶ、いたずらをする、冗談を言い合うなどなど、当時の学校の教室ではNGと思われる「教育技術」の数々が、次々に繰り出されていました。
それらは子どもの頃の自分にとても心地よく受け入れられ、数年後、実際に自分の教室で再現されました。そして、間違いなく、子どもとの心理的距離を縮め、集団づくりに寄与したといっていいでしょう。恐らく小林氏の教育における柔軟さは、この一風変わった塾で受けた教育も少なからず影響しているのではないかと見ています。
閉塞感が指摘されて久しい教育界ですが、それを打ち破るのはイノベーションです。そのイノベーションは右肩上がりの時代のように「イケイケドンドン」では生み出せないと思っています。一息ついて、ほっとして、そしてまた「やってみるか」というようなスタンスが必要なはずです。
そんなに大きく構えるつもりはありませんが、「癒やし・和み」がちょっと教室を明るく照らすような気がしています。そして、それを伝える方法が、文字ばかりではなくマンガでもいいのではないでしょうか。文字では伝わらない世界をお伝えできると確信しています。
お茶やコーヒーを飲みながら、お気に入りの音楽でもかけながらご一読下さい。ちょっと元気になるかもしれません。
平成二七年二月 /赤坂 真二
この観点で書かれた教育書は、あまり多くないはずです。
学級にやる気を生み出すワザ。
発刊が待ち遠しいです。
多くの先生方、学生さんに読んでいただきたいです。
学校用にも購入します。