- まえがき
- 第1章 これからの教師に求められる「観」と「術」
- 1 教師の「観」をパラダイム・シフトしよう
- 2 教師の「目標値の高」を見直そう
- 3 子ども達を高める「術」を身につけよう
- 第2章 学習場面で届ける「必勝のフレーズ」10選
- 場面1 発表のときの声が小さい
- 場面2 家庭学習(テスト勉強)が進まない
- 場面3 元気が出ない…,ぼ〜っとしている
- 場面4 ノートを丁寧にまとめられない
- 場面5 チャイム席が守れない…,時間が守れない
- 場面6 話を聞くとき,視線が揃わない
- 場面7 手が真っ直ぐに挙がらない
- 場面8 自習時間に騒がしい…,問題が起こる
- 場面9 歌を一生懸命歌わない
- 場面10 授業中,子ども達が発表しない
- 第3章 生活場面で届ける「必勝のフレーズ」10選
- 場面11 自主的にあいさつしない
- 場面12 教師に対する距離感が近過ぎる
- 場面13 掃除が早く終わって席に座っている
- 場面14 掃除に取り組む姿勢(格好)が悪い
- 場面15 トイレ掃除を嫌がる
- 場面16 嫌いなものを食べない
- 場面17 丁寧さが足りない
- 場面18 名札忘れが絶えない
- 場面19 教室移動の際,私語や足音がうるさい
- 場面20 教師が頼みごとをしても動かない
- 第4章 学校行事等で届ける「必勝のフレーズ」10選
- 場面21 組立体操で「気をつけ」ができない
- 場面22 組立体操でのダッシュが緩慢
- 場面23 演技を失敗して照れ笑い
- 場面24 運動会準備等で動かない
- 場面25 行事での成長が他に生かされない
- 場面26 学習発表会等ではじけない
- 場面27 行事のあいさつがうまくいかない
- 場面28 社会科見学等で感謝の気持ちが伝えられない
- 場面29 成長を価値づけ,さらに加速させたい
- 場面30 卒業式練習での姿がだらしない
- 第5章 リーダー育成場面で届ける「必勝のフレーズ」10選
- 場面31 リーダー業に背を向ける,へこたれる
- 場面32 リーダーに立候補しない…(6年生編)
- 場面33 リーダーに立候補しない…(5年生編)
- 場面34 引き継ぎがうまくいかない
- 場面35 最上級生がピリッとしない
- 場面36 準最上級生を育てたい
- 場面37 なかなか段取れない,指示ができない
- 場面38 下級生の面倒をうまく見れない
- 場面39 一部の子の協力が得られない
- 場面40 下級生を上手に育てられない
- 第6章 その他の場面で届ける「必勝のフレーズ」10選
- 場面41 練習中の緊張感が0
- 場面42 本番で力を発揮できない
- 場面43 最初からあきらめて活動に向かわない
- 場面44 あれもこれも…,全てが中途半端
- 場面45 子ども達自身の目標値が低い
- 場面46 成長が止まり,努力も止める
- 場面47 活動の初期の段階で意欲が停滞する
- 場面48 年度末にピンチを迎える
- 場面49 勝負所・正念場で踏ん張れない
- 場面50 学校生活の全ての場面において
- 必勝のフレーズIndex
- あとがき
まえがき
学習指導要領改訂を控え,道徳や英語の教科化等,教育の諸改革が実施されようとしています。教育の〈流行〉の側面から見れば,時局に対応したこのような改革は必要不可欠なこととは言え,おそらくこれまで同様,学校現場はハード・ソフト両面において様々な対応を迫られることでしょう。
一方,時代が変わっても,教育には〈不易〉の側面もあるはずです。それは,いかに子どもが変わろうと,教育の枠組みが再編されようと,変わらない「何か」なのです。教師が子ども達を鍛え,伸ばすために発する「言葉がけ」もその一つではないでしょうか。先行実践が豊富にあり,書店に足を運べば,関連書籍があふれている時代です。本来このようなことは,今更声高に主張するようなことではないのかもしれません。ところが最近,教育現場において,「本当に今の言葉で子ども達の心に届くのだろうか」「子ども達が目を輝かせて動くのだろうか」と疑問に思わざるを得ない教師の言葉がけが余りに多いと感じているのは,果たして私だけでしょうか。
私が日々感じている,教師の指導の落とし穴とは,次のようなものです。
@今あなたが発した言葉(指導)が導く子どもの姿は,教育の本質的な価値に照らして,果たして妥当なものですか?
A今あなたが発した言葉(指導)が導く子どもの姿は,子ども達の潜在能力に照らして,果たして限界を引き出すものですか?
B今あなたが発した言葉(指導)は,果たして子ども達の心に届き,主体的・能動的行動を導くものですか?
平たく言えば,「@本当にそのねらいで良いのか?Aもっと伸ばせるのではないか?Bその言葉がけで子ども達は本当に伸びる(動く)のか?」という3つの落とし穴なのです。誤解を恐れずに言えば,たとえ子ども達の実態が変容しようと,言葉がけに代表されるような,本来〈不易〉の側面と言えるはずの指導さえ,〈不易〉となり得ていないのではないか…ということなのです(自戒も含みます…)。
本書は,そんな問題意識を起点とする6つの章で構成しました。
第1章では,ここまで述べた3つの視点に立って,教師の「観」(教育観・指導観)と「術」(教育技術・指導技術)を問い直すことから出発したいと思います。いきなり「言葉がけ」の例を紹介するのではなく,そのバックボーンとなる私の考え方にふれていただくことで,本書が単なる「ハウツー本」で終わることなく,読者の方それぞれのフィルタを通って,生きて働く独自の言葉が生み出されるのではないかと思うからです。
その手始めに,まず「@教師の指導観」そのものを問い直します。学校は,いわゆる閉鎖的な環境であると言われます。その中にいる教師も,異業種との交流が少なく,価値観が固定化していると揶揄されることもあります。そんな学校という特殊な環境の中で,私達教師はこれまでの慣習・伝統,先輩教師の実践等を鵜呑みにし,さしたる疑いもなしに行っている指導が意外と多いのではないでしょうか。いわゆる学校あるあるを,言葉がけの側面から見直してみたいと思います。
次に,「A教師の設定する目標値の高」を疑問視してみたいと思います。子ども達がもつ力は無限です。ところが,私達教師は,指導場面に対峙しても,看過する,或いは躊躇するといった実態はないでしょうか。「ここでさらに指導を加えれば,もっと伸びる,もっと変わる」はずなのに,「まあ,これくらいで良いか…」と,安易に目標値を下げてはいないでしょうか。下げるだけならまだしも,そういった視点さえもっていない…ということはないでしょうか。教師受難の時代と言われる中,子ども達を鍛えて伸ばすことをためらう心情が少なからず存在することは想像に難くありません。しかし,それを差し引いたとしても,子ども達の潜在能力を十分に引き出せていない実態が余りに多いと思えてなりません。
一方,子どもを伸ばせないというこの問題の根本は,それ(A教師の設定する目標値の高)のみに起因しないとも考えています。結論から言えば,高い目標値があったとしても,そこまで子ども達を導く「術」をもっていない状況はないか…ということなのです。この「術」が未熟であれば,教師の高い目標値はかえって無理な指導を呼び込むことになります。いわゆる,教育の副作用です。目標値の高さと教師の力量は一体のものであり,そのどちらも欠けてはなりません。ところが,学校現場を見渡しても,高い目標値をもちながら,同時に子ども達を無理なく,楽しく,主体的・能動的に導く力量をもつ教師は,私の知る限りにおいても,それほど多くはありません。こうした視点から,「B目標レベルに子ども達を押し上げるための方法論」について言及してみたいと思います。
その上で,私のこれまでの教師人生で経験的に編み出し,活用してきた言葉がけの中で,「これは有効であったかな…」と思われる例を,誠に僭越ながら,「必勝のフレーズ」と称し,第2章以降において50例提示していきたいと思います。
団塊の世代の大量退職によって,教師の指導力の低下は,今後加速度的に顕在化すると危惧されています。そんな今だからこそ,私達は教師としての,教育の本質を見抜く「観」及び具体的な指導の「術」を磨いていかなければなりません。とりわけ,教師が発する言葉にもっと敏感になり,子ども達の心に,あたかも波紋が広がっていくような言葉を届けたいものです。
本書は,そのような観点から,教師の「指導観」と「目標設定」を再考し,子ども達の心に響き,目を輝かせながら動き始めるであろう「言葉がけ」を,場面別にまとめて提示しようという試みなのです。
本書が,志ある全国の先生方のお役に少しでも立ち,日本全国の多くの子ども達の笑顔に寄与することができるならば,それは望外の喜びです。
/西村 健吾
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