- 特集 “仮構”から“現実”へ―子どもが暮らしている地平
- 仮構のテクスト―その支配の構図
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- みんなといっしょに自由になる
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- 【コメント】共同的対話の実践の重要性―芳野、朝日野氏の実践を読んで―
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- 大輔、おまえ汚い…のいきさつから
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- 幼児期VS少年期のトラブル
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- 【コメント】異質な生徒を仲間に開く指導のあり方―加納、藤木氏の実践を読んで―
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- 学級の中にどのような活動を入れていくか
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- 子どもたちの中にどうしたら「自治」を育てられるか
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- 少年期を豊かにする
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- 第2特集 「揺らぐ」学級
- 学校が変わっていく―これからはT・Tと「総合」の時代?―
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- 単年度担任制―弱き者たち
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- 「合同授業」と学級づくり
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- 「揺らぐ学級」問題を考える―前田、丹下、鈴木実践の提起から―
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- 【コメント】生徒自治の形成を軸として父母・地域との共同を
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- 同時代を生きる教師たち (第3回)
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- 〜リーダーについて考える〜
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- 編集後記
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今月のメッセージ
私的制裁を許さない世論の形成を
常任委員 宮崎 久雄
「先生、ランチルームで紙飛行機を飛ばしたらいけないんだよね」「いけないよ」
「ほーら、先生だっていけないって言ってたぞ」
教室に駆け戻った元気いっぱいの熊倉と松永の声が聞こえた。
紙飛行機を飛ばしていた矢田と羽田を追求したらしく、矢田は泣きだしてしまった。普通なら、いっしょに紙飛行機を飛ばして楽しんでしまうのが四年生の男の子らしいと思うのであるが、おかしいと思った。私は、二日前のことを思い出していた。音楽の時間、松永が歌を歌おうとしたとき、羽田がふざけて笑わせてしまいうまく歌えなかったというのだ。そのことで腹を立てた松永は、
「先生がふざけちゃいけないって言ったじゃないか」
と文句を言い、喧嘩になってしまった。羽田ははずされた気分で落ち込んだ。
*
「いったいどうなっているんだ、このクラスは。毎日泣く子を出し、授業妨害して!」
何人かの子どもたちが、それに応え意見を言ってくれた。私は、
「先生はどうしていいかわからなくなったから、時間をください」
と頭を冷やしに職員室まで歩き、ふたたび教室に戻った。
「先ほど、意見を言って真剣に考えてくれた今村君と沢村君、真実さん、それと内藤君と相談したい。みんないいですか」
教師が困ってしまったのだからしかたがない。子どもたちは了承した。
空き部屋で相談した。四人はよく話した。
「集団でいじめているみたいだよ」
「松永君にはみんな気を使って文句は言わないんだよ」
「松永君の言うことを聞いてやっているみたいだよ」と子どもたちの分析が続く。
「注意したんじゃないの?」と投げかけると、
「そうだけど、ほんのちっちゃなことを、大きな悪いことのように言うんだよ」
「注意というより、責めているというか、いじめみたいな感じだよ」
「そう、だから、泣くまでやるんだよ」
私は、ここまで聞いていて、子どもたちの分析の鋭さに感心していた。そして、「注意と責めることの違いはわかるの?」と聞いてみると、「わかるよ」「一言で?」「うん」。
*
学校の秩序は守らなければいけない。だから守らない者に対しては、私的制裁(リンチ)を加えてもよいという論理構造の中で子どもたちは生活していると思った。さらに、その制裁を加えるのは力の強い者を中心としたグループであるというのだ。
ここまでくると、先日、学習課題をさっとやってしまった松永が、「柳田できたか?」と声をかけると、次々に三人が声をかけた。
柳田は泣いてしまったのであるが、柳田は、「責められたように感じた」と言っていた。
私的制裁をしているのが、ちからある者たちであるならば、私的制裁を許さない正義の世論を形成することで、自由な表現と生活を守るたたかいが求められていることになる。そのためにはたたかいの中心になるリーダーの存在が不可欠である。
親しい人間関係を求めるがあまり、気遣いの世界に飲み込まれる子どもたちに、今必要な指導課題ではないだろうか。
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- 明治図書