- 特集 「国連持続可能な開発のための教育10年」の中間年にあたって
- ESDが提起するもの
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- ESDとユネスコ・スクール
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- さまざまな教育・実践とつながる ESD持続可能な開発のための教育
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- 新学習指導要領とESD
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- まちづくりとESD
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- 人権・福祉教育の視点からESDを見直す
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- 【資料1】ミレニアム開発目標(MDGs)
- 【資料2】ボン宣言
- NEW BORN (第21回)
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- 沖縄散歩 (第11回)
- 米軍基地内学校の教員研修に参加する
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- 【コラム】ジェンダー論の練習問題 (第55回)
- 着床前診断をめぐって(1)
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- 小西先生の『学級革命』を読む (第21回)
- 授業の質的レベルを高めるチャンス
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- 映画をみる、映画でみる (第9回)
- 彼らは世界を許すのだろうか〜シャティーラキャンプの子どもたち
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- まだまだ、だまってられへん (第9回)
- まだまだいけるで解放運動、同和教育
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- 〜なめたらあかん〜
- 子どもを見る眼 (第9回)
- ピンチをチャンスに変える力
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- 編集部の本棚
- おもちゃばこ (第33回)
- 「じまん」しようよ! よろこびあおうよ!(2)
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- まいにち? マイニチ!
- 共生のトポス (第93回)
- 家族のこと、貧しかったこと、忘れない
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- 〜メルバさんの話〜
- 編集後記
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編集後記
▽国連ESD一〇年の中間年を迎え、いまだにESDが「???」とか「・・・」とか言われ続けているのは、新たな「〇〇教育」の一種としてどこに位置づけられるのか右往左往していることの証明だろうか。その文脈では、五年間での落ち着き先は「環境」に近いところに行きそうな気配もある。
▽しかし―総括(総合)的、横断的、体系的、という性格を鑑みるとむしろ「環境教育」も含め、「△△教育」と「××教育」と「〇〇教育」等々が、繋がったり絡み合ったりする、その土俵や余白がESDなのではないかと確信するようになった。
▽一九九五年〜二〇〇四年は国連人権教育の一〇年だった。これが人権課題を抱えるマイノリティのための教育の一〇年であるとすれば、二〇〇五年からのESD一〇年はそうした課題を生み出しているマジョリティ側が問われる教育の一〇年なのだと説明したことがあるが、その思いは今回強まった。
▽多忙な中、ESDに思いを持ち、原稿を書いてくださった方々に心から感謝すると同時に、子どもたちが未来に希望を抱く教育活動を、今後も各地で多様に展開していってほしいと願う。(縁)
▼日本では「モッタイナイ」で有名になったワンガリ・マータイさんは、一九七〇年代にグリーンベルト運動を始めた。森林伐採が続き砂漠化が進行するケニアで、女性や子どもたちが中心となって植林運動を展開した。彼女の活動を紹介するビデオを見ると、読み書きしない女性たちがこの運動を担ってきたことがよくわかる。海外からの援助もなく、予算もない中で、彼女たちが活動を進め、いま自信を持ってにこやかに歌い踊る姿は印象深い。「彼女たちは、学校も行っていないし、普段は裸足で過ごす人もいる。その人たちがこれを達成したのだ」というマータイさんの言葉に、日本での教育こそが問われていると感じた。
▼さてその日本では、教育と教員養成をめぐって混乱が続いている。政権交代がこれをどのような方向に持って行くのか。知識基盤社会で日本が見通しのもてる社会を築けるには、教育がどうなっていけばいいのか。政策を注目したい。(森)
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