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今月のメッセージ
「子どもの今」を聴きとり、夢のかけ橋を
指名全国委員 中野 譲
昨年、6年間勤めた学校からNの悲劇≠ニいわれる市内の学校に赴任した。赴任した学校に顔を出した初日に校長から呼ばれ、誰も引き受け手がない5年を受け持ってほしいとお願いされた。実情を聞くと、その学年は3年の時に授業崩壊し、とても体力のいる学年ということだった。1クラスの人数は40人。学校そのものも、私が赴任する前年に6年生が大荒れに荒れている。教職員は、とても仲がよかったが、ピリピリしているのを肌で感じることができた。
さて、その学級を持ちしばらくすると、話が本当だということが身にしみてわかってくる。すぐにキレて暴力に走る男子。気性激しく突然泣き出したり、ひきこもったり、『クソ』『死ね』『ふざけんなよ』とためぐちをたたく女子。突然何の脈略もなく昔のことがフラッシュバックして、特定の子になぐりかかったり、机やいすを投げ飛ばしたりするADHDの子がいた。まさに暴力と暴言にあふれた学級だった。
そんな学級で私がまず打ち出した方針は、すさまじくエネルギーのある女子集団をこっちに振り向かせることだった。それは、幼稚な男子集団に対して大変ませた女子をどうにかしないと、指導が通らないと直感したからだった。
男子も女子もエネルギーを感じるこのクラスでは、ラッキーなことがあった。それは、私が話す前に、けっこう地域では名の通った野球のクラブチームのコーチをしていることを子どもたちが知っていたことだった。そういう風評は子どもたちの耳には敏感に入ってくるものだということを、改めて感じた。そして、私の紹介をした日の放課後に、突然『キャッチボール教えて』とやってきた。その日は2時間ぐらい、日が暗くなるまで野球を楽しんだ。
次の日、クラスに手で打つ変則野球をしないかということと、何でも書ける自学ノートをやってみないかと持ち出した。昨日遊んだ女子集団がすぐに支持したので、問題なく取り組むことになった。カラーバットで取り組みたかったが、カラーバット禁止の学校の方針を覆すことができなかったので、手で打つ、つまりハンドベースに切り替えた。
ハンドが始まったのはよかったが、まるでゲームにならない。負けているとキレる。ミスすると暴言の応酬。やーめた、となる子がたくさんいる。ゴロでつかんだボールを近距離で力一杯に投げて相手にぶつける男子もいて、話にならない。話し合いをしようとしても、まるで話し合いにもならない。そこで取った方法が、付箋紙に自分の考えを書いて貼り出し、それに対する感想を書くというもの。あの女子集団が中心になり、書き始めた。書いた後で次もゲームをするのか?するならどういうルールを決めるのか?できるだけやれそうなルールを決めるように言うと、初めてゲームのルールができあがった。それからいろいろ問題はあったが、1学期中夢中になって取り組み、一定の秩序が学級の中にできあがった。
一方自学はというと、女子を中心に1日に何ページも悩みや自己史を書いてくる。そして次の要求はダベリングをしたいということ。毎日毎日ダベリの会は続いた。そして、クラスの男子を巻き込み、クラスの運営部をつくることに発展していく。聴き取ること、具体的な活動を通して子どもの夢を開き、自分たちで秩序を確立していくことの大事さを痛感した。
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