- まえがき
- T 授業の原則(技能編)八カ条
- 1 第一条=子どもの教育は菊を作るような方法でしてはならない
- 2 第二条=子どもは断片的にしか訴えない。言葉にさえならない訴えをつかむのは教師の仕事である
- 3 第三条=子どもを理解することの根本は、「子どもが自分のことをどう思っているか」ということを理解することである
- 4 第四条=意見にちがいがある。だから教育という仕事はすばらしいのだ
- 5 第五条=時には子どもの中に入れ。見え方がかわる
- 6 第六条=秒単位で時間を意識することは、あらゆるプロの基本条件である
- 7 第七条=技術は、向上していくか後退していくかのどちらかである
- 8 第八条=プロの技術は思い上がったとたん成長がとまる
- U 新卒教師のための新五カ条
- 1 第一条=あいさつは自分からせよ
- 2 第二条=わからない時は自分から教えてもらえ
- 3 第三条=プロの技術を身につけたいのなら身銭を切れ
- 4 第四条=プロの教師になりたいのであれば他人より一〇パーセント程多くの努力をせよ
- 5 第五条=研究授業は自分からすすんでやれ
- V プロの技術は歴史的な存在である
- 1 教える技術を持たない教師たち
- 2 思いつき的方法では子どもは伸びない
- 3 いかなる技術も長い時間かかって作られる
- 4 朝日新聞・毎日新聞に紹介された法則化運動!
- (1) 朝日新聞(昭和60年11月20日朝刊)
- (2) 毎日新聞(昭和60年11月25日朝刊)
- (3) 遠藤・水越意見への反論
- (4) 法則化運動の基本理念
- 5 ブームだから青年教師は参加するのか
- (1) 炸裂する法則化運動
- (2) 全国津々浦々から
- (3) 授業が変わるという確かな手ごたえ
- 6 法則化運動の誕生と未来
- (1) 法則化運動の誕生
- (2) 三十四名中十八名が単行本を執筆
- (3) 法則化運動は未来を見つめて
- 7 今は孤立の闘いなれど
- (1) オホーツクサークル通信
- (2) 向山報告と全生研
- 8 生れるものには生れる必要が必然がある
- あとがき
まえがき
この本は前作『授業の腕をあげる法則』の続編です。
前作では「授業の原則」を示しました。
「一時に一事の指示をせよ」というような、授業を貫く原則を示したのです。
大きな反響かありました。
「自分の授業が変わった」
「教師を二〇年もやっていて、こんな大切なことを知らなかった」
いろんな手紙をもらいました。
また、企業などでも読まれたようです。
「この本は『授業の腕をあげる法則』というより『事業の腕をあげる法則』です。私たちの会社でも十分に通用します」
こんなことをずいぶん言われました。
出版関係の東販の課長さん係長さんも、明治図書の常務さんも三省堂書店の名古屋店の次長さんも千葉多田屋書店の部長さんも、「私達の仕事にもぴったりあてはまります」と言ってました。この本の普及に協力してくださいました。
「どんな仕事でもプロの技術ならば他の仕事の役に立つ」という言葉があります。
今までの教育界の本は、他の職業の人にはあまり参考にされませんでしたが「授業の腕をあげる法則」は、参考になったようです。
おかげで、三省堂書店では教育書ナンバーワンのベストセラーとなりました。出版して半年間で二万一千冊の売れ行きです。教育書は一年かかって千五百冊ぐらいが売れればいい方ですから、これは異常な売れ行きです。それだけ、多くの人に求められたわけです。
さて、本書では「授業の原則」の発展として、授業の原則「技能編」を書きました。
前作の「授業の原則」では、直接授業にかかわる技術を示した初級程度のことを示しました。つまり技術編です。
今回は、授業の技術を支える技量ともいうべきもの、プロの心構えというべきものを示したわけです。「技術」よりもいく分「教師の心」に重心を置いて表現したわけです。
もちろん、すぐに役立つ方法も示してあります。
前作を初級編とすれば、今回は中級編にあたります。
ただし、前作の初級編は初級編といってもかなり高度なものです。あれだけで「とりあえずプロの技術といえる」というものです。
そのために「初歩の初歩」がぬけております。
それで、この本では「中級編」に加えて「新卒教師のための五ヵ条」を特別に追加しました。
私が千葉大の講義で話をした「新卒教師のための十ヵ条」を整理したものです。
きっと役に立つと思います。
前作で紹介した教育技術の法則化運動はものすごい勢いで全国に広がっています。
『教育技術の法則化シリーズ』(第一期)は、出版して半年でバラ売り十五万冊を記録しました。
「全国から集めた役に立つ技術」は、各地でひっぱりだこです。
「読まないととり残される」と言われております。全国各地に「法則化サークル」も作られています。
朝日新聞・毎日新聞では「教育特集」の欄で「教育技術法則化運動」を大きくとりあげました。一九八五年十一月のことです。
発祥してわずかに一年半の運動に、全国紙が注目して大々的に扱ったのです。一紙ならず二紙までもです。
しかも、両紙の記事は一週間と離れていませんでした。これはかなり異例のことです。
教育技術の法則化運動がいかに注目に値する運動なのかを示しています。
朝日新聞「教師とは」という連載を終えるにあたって、清水弟記者は「取材を終えて」を書いています。その中で次のように言います。
授業のやり方が分からずに悩む教師がいかに多いかは、「教育技術の法則化」を提唱する向山洋一氏の異常な人気からもうかがえる。
一九八五年十二月二十七日、朝日新聞
全国を取材してまわった記者の目にも、「授業のやり方が分からずに悩む教師が多い」ことが映ったのです。そして、教育技術の法則化運動の異常な人気も感じとったのです。
これはCMの過剰な向山洋一の言葉ではありません。
朝日新聞の教育取材班の記者の目に映ったことです。
本書では法則化運動でどうして授業の腕があがるのかを多くの教師の証言をもとに述べてみたいと思います。
法則化運動との出会いは五〇年一回、一〇〇年に一回というほどの歴史の激流とのめぐりあわせなのだと思います。こんな大きな運動は作ろうとしても作れません。
時代の息吹きにめぐりあった人のみが、その仕事に参加できるのです。
二〇年前でしたら無理でしたでしょうし、二〇年後でも駄目だったでしょう。
「法則化運動の発祥した時代に教師であることの幸運を感じています」という意味の手紙を若い人から次々にもらいます。
そうなのです。幸運なのです。
教師を仕事としている人間が、教師の技をあげることの喜びを感じられるようになったのですから……。しかも、全国の多くの心ある教師と共に……。
私自身が誰よりも、この時代に教師であることの幸運を感じております。
教師なら、子どもにとってより価値ある授業をするための努力を!
私も愚直な努力を続けます。
一九八六年二月十日 /向山 洋一
その後仮説実験授業の会員の先生との出会いから仮説実験授業サークルにかようようになりました。
でも根本的な教え方ややり方は自分で見つけないといけないことに気づかされ、少なからずショックをうけていました。
私の通っていた仮説サークルでは法則化運動についてはとくに言及もしていませんでしたし、議論をしたこともありません。
教師としての原理原則は本当にじぶんでつかむしかなかったのでしょうか?
否。お金をだして(本を読み、研究会に参加し)、勉強すれば、どこかで知識を得る事が可能です。
この本で私の数々の疑問の糸口が見えてきました。ありがとうございます。