<命・心>を考えさせる授業プラン1
命・心の教育は「生き方」教育だ

<命・心>を考えさせる授業プラン1命・心の教育は「生き方」教育だ

投票受付中

「生き方」ではなく、「生きざま」を伝えなくてはならない。

「心の教育」は「生き方」だけでは子どもたちが納得しようとしない。実際に生きた人、生きている人の「生きざま」を伝え、知らせることこそ重要なのだ。インターネット時代の「心の教育」が目指す場所を方向づける。一生懸命に生きる、仕事にかけて生きる等々。


復刊時予価: 1,860円+税

送料・代引手数料無料

電子書籍版: 未販売

電子化リクエスト受付中

電子書籍化リクエスト

ボタンを押すと電子化リクエストが送信できます。リクエストは弊社での電子化検討及び著者交渉の際に活用させていただきます。

ISBN:
4-18-825116-6
ジャンル:
道徳
刊行:
対象:
小学校
仕様:
A5判 88頁
状態:
絶版
出荷:
復刊次第
テキスト採用品見本お申込みはこちらから

目次

もくじの詳細表示

まえがき /大森 修
T インターネット時代の「心の教育」が目指すこと
/大森 修
U 「一生懸命に生きる」を教える
一 「一生懸命生きる」生き方を示す授業 /松野 孝雄
〜佐藤真海さんの生き方〜
1 「生き方」を示す
2 佐藤真海さんの選択
3 手術の決断
4 佐藤さんの新たな挑戦
5 佐藤さんの目標
6 神様は乗り越えられない試練は与えない
二 子どもの生活体験を超える生き方を教える /山田 高広
〜森光猛夫氏の生き方〜
1 教材研究─生徒の生活体験を超える内容をどうするか
2 授業の実際
V 「仕事にかけて生きる」を教える
一 その人の生き方から出てきた言葉を子どもたちに知らせる /近藤 滋子
1 どんな道を歩んできたか─生き方を知らせること
2 その人との対話の中から「生きる」というキーワードをつかむ
3 授業の実際─子どもたちに伝わること
二 コシヒカリで「あきらめず工夫し続ける生き方」を教える /伊藤 隆之
1 先人のあきらめず工夫し続けた努力によって生まれたコシヒカリ
2 授業の組み立て
三 本当の強さを教える /川上 弘宜
〜ジャッキー・ロビンソンの奇跡〜
1 本当の強さを教えたい
2 授業の実際
3 終わりに
W 「人のために生きる」を教える
一 親の愛情を実感する /落合 義貴
二 夢の実現が生き方をかえる /田代 勝巳
〜メイクアウィッシュ〜
あとがき /松野 孝雄

まえがき

 次の子どもがいる。


 (1) 虐待を受けている。


 最も愛してくれる親から虐待を受けている子どもがいる。このような子どもには、脳科学で言われている「心の理論」が育っていない。「心の理論」とは、一言で言えば、「人に対する尊敬と信頼」のことである。「心の理論」が育っていないとは、ロバート・フルガムが『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(河出文庫)で示した知恵が習得されていないということを意味する。

 このような子どもには、いわゆる「徳目」は通用しない。何を授業しなければならないのだろうか。


 (2) 家事労働に疲れている。


 親(母親)は生活を維持するために必死に働き、疲れ切っている。また、子どもも親を助けるために家事一切をしている。勉強どころではない。学用品もままならない。

 俯せになっている子どもに「ノートを出して書きなさい」などと言う教師には、「やりたくねーよ」と睨みかえす。当然な言動である。教師の対応が悪いのだ。

 こうした子どもの中には、自らの将来に対する「夢」はない。「夢」が持てない境遇にいるのだから当然である。このような子どもに「夢」を持たせるには何を授業しなければならないのだろうか。


 (3) ある日、父親がやってきた。


 離婚の数が半端ではないのだから、再婚の数も上がっているはずだ。それなのに、マスコミは再婚の数は取り上げない。

 再婚までにもさまざまなことが起きる。子どもは夫となるであろう男性に夢中になる母親に「捨てられた」と思うことがあっても不思議ではない。子どもは環境の変化を受け入れる以外に方法がないのだ。

 環境を受け入れざるをえないのではあるが、そこには葛藤がある。どうにもならないことを処理するスキルは持ち合わせてはいない。

 こうした子どもの中には、他人に対する暴力として訴える以外に方法を見いだせない子どももいる。

 こうした子どもに何を授業したらよいのだろうか。「徳目」は通用しない。


 (4) 母親が自殺を図った。


 自殺を図り救急車で病院に搬送された母親の元を離れようとしない子どもがいる。医師や看護師に言われても、母親のベッドの支柱にしがみ付いて、ガンとして離れようとしなかった。

 当然である。身寄りがないのだから。母親が死んだら一人ぼっちになってしまうからである。

 こうした子どもに何を授業したらよいのだろうか。「徳目」は通用しない。


 (5) 母親のリストカットを見続けている。


 母親が病気で、リストカットをしている。腕には無数の切傷がある。母親は時には、子どもの前で腕を切る。腕からは血が吹きだす。この様を見続けながらもどうすることもできない子ども。この光景が数年も続く。

 子どもは何もしてやれない自分を責め続ける。「心の理論」が崩れてゆく。無能感、自己嫌悪感が増幅してゆく。

 こうした子どもに何を授業したらよいのだろうか。「徳目」は通用しない。


 (6) 母親を迎えに行く子ども。


 母親は接客業に従事している。夜中の一二時過ぎに自転車で迎えに行く中学生がいる。母親が一人で暗い道を帰宅するのを心配して行くのだ。しかし、時には店のネオンが消えても母親が姿を見せないことがある。彼は行き違いになったと思い、必死に道を急ぐ。

 帰宅してみたら、母親はまだ帰っていない。彼は、別の道を行ったに違いないと考え、引き返す。しかし、母親とは会えない。このような時は、「そうか。今日は、お母さんの気晴らしの日だったのか」と考えるのだ。

 こうした子どもに何を授業したらよいのだろうか。「徳目」は通用しない。

 どうにもできない子どもの憤り、悲しみ、苦しみそして怒りを分からないで子どもと向き合えば、授業は空を彷徨う。

 子どもと正対することなしに授業をすれば、無視をされるばかりか、やがて手痛いしっぺ返しを受けることになる。

 「心の教育」にはどのような授業が必要だろうか。


  人の生きざまを伝える。


 「生き方」ではない。

 「生き方」では、子どもは救えない。

 実際に生きた人、生きている人の「生きざま」を伝え、知らせることこそ重要である。


 本書は、さまざまの場所で生きた人、生きている人の生きざまを伝える授業を中核にしている。

 現実に絶望しそうになりながらも、必死に生きている子どもに、夢と希望と生きる意欲を持ってもらいたいという願いで編集をした。

 本書の企画に気概を感じてくれた明治図書江部満氏のご好意で本書ができあがった。感謝を申し上げる。


  平成十七年十一月   /大森 修

著者紹介

大森 修(おおもり おさむ)著書を検索»

1946年新潟県生まれ

日本教育技術学会理事,日本言語技術教育学会理事。

※この情報は、本書が刊行された当時の奥付の記載内容に基づいて作成されています。
    • この商品は皆様からのご感想・ご意見を募集中です

      明治図書

ページトップへ