- まえがき
- はじめに
- T 飲酒・喫煙・薬物乱用防止のためのルール
- 一 お酒を飲んではならない
- 1 未成年がお酒を飲むのは、法律違反である
- 二 タバコを吸ってはならないことを教える
- 1 関係法令とその解説
- 2 授業案
- 3 授業の解説と子どもの感想
- 三 薬物を乱用してはならない
- U 家庭での非行防止のためのルール
- 一 学校を勝手に休んではならない
- 1 授業の解説
- 2 関係法令と解説
- 3 授業展開
- 4 授業後の感想
- 二 万引きをしてはならない
- 1 関係法令とその解説
- 2 授業案
- 三 家出をしてはならない
- 1 家出は犯罪か?
- 2 授業案
- 3 児童の感想
- 四 無断で外泊してはならない
- 1 関連法令とその解説
- 2 授業の流れ
- 五 ゲームセンターに時間を超えて行ってはならない
- ──子どもたちだけではゲームセンターに行ってはいけない──
- 1 関係法令と解説
- 2 語 り
- 3 子どもの感想
- 六 お家の人の財布から勝手にお金を盗ってはならない
- ──一番の非行防止教育は、家の人の愛情と公教育の規範意識──
- 1 関係法令とその解説
- 2 授業案
- 3 子どもたちの感想と解説
- V 人に迷惑をかけさせないためのルール
- 一 みんなの物に落書きをしてはならない
- ──落書きは、他の犯罪もひきおこす──
- 二 注意されたときに「何で俺だけ注意するんだ」とすごんではならない
- 1 話をすりかえさせない
- 2 エピソード1 一万円か懲役三年か
- 3 エピソード2 何で俺だけ」と言わなければ拳銃で撃たれずにすんだかもしれない
- 三 人の物を自分の物にしてしまうのは、罪である
- 1 授業の解説
- 2 関係法規と解説
- 3 授業展開
- W いじめ防止のためのルール
- 一 学校にカッターナイフ等の刃物を持ってきてはならない
- 1 関係法令とその解説
- 2 授業案
- 3 子どもの感想
- 二 お金や品物を要求してはならない
- 1 関係法令とその解説
- 2 授業案
- 3 授業の解説と子どもたちの感想
- 三 人のズボンを脱がしてはならない
- 1 授業の解説
- 2 関係法令と解説
- 3 授業展開
- 四 軽い気持ちで「死ね」などと言ってはならない
- ──クラスの事件をもとにルールを作る──
- 1 関係法令とその解説
- 2 軽い気持ちで「死ね」などと言ってはならないことを、ルールとして教える授業
- 3 子どもの感想
- 五 嫌がっている人に無理やり何かをさせることは、「罪」である
- 1 授業の解説
- 2 関係法令と解説
- 3 授業展開
- 六 人が傷つくようなことを手紙に書いてはならない
- ──メールに相手の悪口を書くことは犯罪か?──
- 1 関係法令とその解説
- 2 授業案
- 3 授業の解説
- 七 万引きを促すようなことを言ってはならない
- 1 授業の解説
- 2 関係法令と解説
- 3 授業展開
- 八 「〜しろ」と人を脅かしてはならない
- 1 「〜しろ」は強要罪
- 2 授業案(五年生で実施)
- 3 児童の感想
- 九 人の持ち物を隠したり、落書きしたり、捨てたりしてはならない
- 1 関係法令(刑法)
- 2 授業案
- 3 児童の感想
- 十 一方的に暴力をふるってはいけない
- 1 暴力をふるうことは何人も許されない
- 2 授業案
- 3 児童の感想
- 十一 人を冷やかしたり、からかったり、侮辱したりしてはならない それは「いじめ」とは言わないのか
- ──実際の事件を通して自分自身を見つめる──
- 1 あるグループと少年の話
- 2 別のグループと少年の話
- 3 事件と友達の反応
- 十二 集団で無視をしたり、人を仲間はずれにしたりしてはならない
- 1 授業の解説
- 2 関係法令と解説
- 3 授業案(中学生)
- 十三 勝手に噂を流してはならない
- 1 関係法令とその解説
- 2 授業案
- 3 授業の解説と子どもの感想
- 十四 教師に事実でないことを告げたりして、人をおとしめようとしてはならない
- 1 関係法令とその解説
- 2 授業案
- 3 授業の解説と子どもの感想
- あとがき
まえがき
一 理不尽な行為に気持ち悪さを感じる
弱いものいじめをしない
集団生活で、子どもに教えるべき規範は、これに尽きる。
「規範」とは、行動や判断の基準・手本である。
規範は、身体化しなければ機能しない。身体化とは、脳に回路ができることである。脳の回路は、一度や二度見聞きしただけではできない。
さまざまな場面で繰り返し繰り返し教えられ、やらされてようやくできる。
人間は、脳にできた回路をもとに判断・行動を決定する。
それは考えるというレベルではない。
感じるというレベルである。
例えば、「はきものをそろえる」という規範がある。
私は、幼少期、母親から、繰り返し繰り返し教えられてきた。
外出から家に帰ったとき、玄関で言われた。
「玄関は、家の顔なのよ。お客さんは、玄関を見て、どんな家かわかるのよ」
そして、自分の脱いだ履物をそろえさせられた。そのときに、そろえ方も教えてもらいその通りにやらされた。
これが毎日毎日繰り返される(幼児期のことをこれだけ明確に覚えているのだから相当させられたのだろう)。
やがて、自分からするようになった。この時点で方法記憶になっている(方法記憶とは、考えなくても体が自然に動いてしまうことである。例えば、服のボタンをとめるとか、自転車に乗るとか。習慣化ともいえる)。
習慣化し、自分でやっていると、「すごいね、きちんと靴をそろえたね」と褒められる。
賞賛は、行動の最大の原動力である。
褒められれば嬉しい。
だから、またやる。
やっていると、お客さんに褒められる。
また嬉しくなる。
これを繰り返すうちに、そろっていない靴に違和感を覚え始めた。
「はきものがそろっていないと気持ち悪い」と感じるようになったのだ。
違和感は、よその家でも感じる。
友達の家に遊びに行ったとき、自分の履物をそろえる。ついでに友達の履物もそろえる。
それを見た大人からまた褒められる。
自分は、これっぽっちもいいことをしたつもりはない。
「こんな当たり前のことをやって褒められるんだ」と思ってしまうが嬉しい。
このように、「履物をそろえる」という回路は強化され身体化した。
そうなっていないと気持ち悪い
状態にまでなるのが「規範意識」というのではないだろうか。
理屈で云々ではなく、目の前の状況に強い違和感を感じる。これが、規範が意識化した状態なのだと思っている。
「弱いものいじめをしない」という規範がある。
いじめをする子は、自分より立場が弱いものをいじめることに、違和感を感じないのであろう。自分のやっていることへの気持ち悪さ居心地の悪さを感じないのであろう。
例えば、次のようないじめ。
教室に入っても誰も雄二君に話しかけないし、見ようともしない。一日中それが続く。授業でグループごとの作業になると、雄二君と同じグループになった子達は「なんでこいつがいるんだよ」と言い、雄二君には何もやらせない。 (山脇由貴子著『教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために』ポプラ社より)
いじめには、必ずボスがいる。
ボスは、弱いものをいじめるのが楽しくてしかたない。自分の企てで困っている被害者を見てよろこんでいる。
「弱いものいじめをしない」という規範が麻痺している。
小さいころに、親や周りの大人から「弱いものいじめをしてはいけない」ということを、繰り返し繰り返し教えられてこなかったのだろうと推測する。
周りの子もそうだ。ボスの企てで困り憔悴しきっている被害者を見て何もできない。また、「無視」といういじめに加担する。
「味方をすれば自分がやられる」という恐怖もあるだろう。それでもなお、このような不正が我慢できないという状態にはなっていない。
これも、教えてこられなかったのだろう。
私は、小学生のときにいじめにあっている。
「無視」である。
ある日、突然無視がはじまった。
心当たりは、全くなかった。
しかし、誰も口を利いてくれなくなった。登校から下校するまで、誰とも話をしない状態が一カ月続いたのである。
口を開くのは、授業中の発表(指名されたとき)と給食のときだけである。
あとは、ずっと一人で過ごした。
下校も当然一人である。数十メートル先には、ボスが、一カ月前までの私の友達と楽しそうにおしゃべりしながら帰っている。
下校時、私も口を開いた。学校から家までの歩数をぶつぶつ数えた。
それ以外に口を開く必然性がなかった。友達と話をしたかった。そのときの思いが今でも強く残っている。
学級の子どもがこのような状態になっているのに、担任は、全く何もしてくれなかった。
一カ月も一人ぼっちにされているのだから、学級で異質な空気が流れていたはずである。
にもかかわらず、担任は全く何もしなかった。ボスの手口がよほど巧妙だったのだろう。担任は、気づいていなかったのだ。
だから、向山洋一氏の「いじめ発見システム」の重要性が実感を伴ってわかる。
担任は、その後、出世して校長になった。しかし、私は、担任を許せない。学級のたった一人の子の苦しみがわからない教師を私は認めない。
無視がはじまって一カ月たったころ、以前の友達が打ち明けてくれた。
「ごめんね。ぼくもこんなことしたくない。でも、『やらないとこんどはおまえだぞ』って言われたから」
たったこれだけだったが、とても嬉しかった。久しぶりに友達と話ができることへの喜びがあふれた。
「なんで、おれ、無視されるの?」
その子に聞いた。
「おもしろいからって」
聞いた瞬間に怒りがこみ上げてきた。
すぐに、ボスのところに行き、殴りかかった。
ボスは、一瞬あっけにとられた。
もともと喧嘩が強くてその位置にいたわけではなかった。
終始こちらが優勢であった。
喧嘩が終わり、状況は一転した。
さっきまでのクラスのボスは、最も弱い立場に転落した。
これも、小さいときに教えられたことだ。
「悪いことを許してはいけない」「立ち向かえ」と小さいときに刷り込まれてきた。
だから、このときも小さいとき教えられたことに後押しされての行動だった。いま思えば、手段に問題はあるが。
もちろん、そんなことは意識していない。
このように、
無意識に体が動く
状態こそ規範が意識化されたといえる。
二 善悪の判断を教えられる
またまた幼少期の話である。
テレビ番組で、兄弟で仲良くお菓子六個を分けあう場面があった。
「あんたならどうする?」
と母親に問いかけられた。
私は、迷わず「弟に三個あげる」と答えた。自信があった。褒められると思っていた。
しかし、母親は黙っていた。
少し考えて、「弟に四つあげる」と答えた。すると、褒められた。そして、言われた。
「どうしたら相手がよろこぶかを考えなくちゃね」
このようなシミュレーションを小さいころにやらされた記憶がある。
善悪の判断である。
また、「ものを粗末にすると目がつぶれる」「そんなことをしたらバチがあたる」「人をいじめたら自分にかえってくる」など科学的には実証しようのないことで善悪の判断基準を教えられてきた。
でも、それらの積み重ねが、現在の行動の支えになっている。
このような善悪の判断を小さいころから教え、刷り込まれることにより、規範は意識化する。
それを担当するのが家庭であり地域であった。
現在の社会にその機能はなくなった。
しかし、教えなければならない。
その役目を学校が担当する。
授業という形で子どもたちに教え、受け継いでいかなければならない。
もちろん、教育の場では「確定された真実」を教えなくてはならない。「確定された」とは、「それぞれの学会で認められた」ということである。
TOSS道徳シリーズ第四期全一〇巻が完成した。
現在の子どもたちに最も必要なテーマを厳選して編集した。
全巻、TOSS道徳の授業である。
全て実践で検証済みの授業である。
第四期だけで、小・中学校全道徳授業をカバーできる。
是非とも教室で活用していただきたい。
平成二〇年四月 TOSS道徳代表 /河田 孝文
「学校にカッターナイフ等の刃物を持ってきてはならない」
理由が分かりました。
鉄砲刀剣所持等取締法という法律があること。
初めて知りました。
子ども達が納得するかたちで
話ができると思いました。