「討論の授業」成功へのステップ 小学5―6年編

「討論の授業」成功へのステップ 小学5―6年編

クラス全員が発表できる「討論の授業」完全マニュアル!

討論の授業をめざす上で前提となるのが、「全員が指名なしで発表できる」ことだと著者は強調する。そのための「クラス全員発表をめざす指導」例を詳細に示す。向山実践の中で討論の授業の最高峰である「やまなし」に挑戦し、指導略案から授業記録まで全容を示す。


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ISBN:
978-4-18-622313-2
ジャンル:
授業全般
刊行:
対象:
小学校
仕様:
A5判 120頁
状態:
在庫僅少
出荷:
2019年6月27日
新学習指導要領解説書籍
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もくじ

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監修のことば〜「討論」授業の“原風景”〜
T クラス全員発表をめざす指導
1 新しい学年が始まってすぐに実践
2 子どもの学習規律も指導する
3 作業が早い子どもを評価する
4 箇条書きの指導をする
5 全員、ノートに書かせる
6 どれだけ書けたか個別評定する
7 机の配置を変える
8 同じ意見も発表させる
9 教師は子どもたちの視界から外れる
10 発表した子どもにはボーナス点を与える
11 発表ができなかった子どもを励ます
12 発表を譲らせる
13 発表していない子どもを放置しない
U 短歌で討論(話者の位置を問う)
V 「やまなし」に挑戦!
一 第一時――「やまなし」指導略案(1/12)
二 第二時――「やまなし」指導略案(2/12)
三 第三時――「やまなし」指導略案(3/12)
四 第四時――「やまなし」指導略案(4/12)
五 第八時――「やまなし」指導略案(8/12)
六 第一〇時――「やまなし」指導略案(10/12)

監修のことば〜「討論」授業の“原風景”〜

 私の通っていた小学校は、私が入学した頃、「作文教育」の研究を行っていた。作文を「取材」の段階からフォーマットに合わせて書かせていた(一年生にもである)。


 今考えると、大変稚拙で、形式的な方法であった。公開発表か何かの為に、かなり無理をして、一年生にも毎週のように「作文」を書かせていたのである。その時間に書かされる「作文」は、大嫌いだった。何時間もかけて、ゴリゴリやられた記憶がある。無論、次の年には、このような「作文」の時間は無くなった。

 二年生になった時、女性の五〇代の先生が担任になった。


 妙に厳格でヒステリックな先生だったが、授業では「討論」をやっていた。当時は、「自分の意見を言わせる」、「子どもたちでやらせる」という事を大事にする先生が多かったように思う。私は「討論」の授業だけは“好き”だった。二学期の終わりか三学期の始めだったと思うが、「かさこじぞう」の授業で、何時間も「討論」をやった記憶がある。


 授業で「討論」を成立させるには、前もって子ども(私たち)が、様々な意見を言えるようにしておかなければならない。だから、私たちは、様々な場で意見・発言を求められた。二年生であるけれども、自分たちの「主義主張」を醸成させられ、それを表明させられたのである。そしてそれが、私には「合っていた」。自分でも分かるほど、非常に“生意気”になっていったように思う。“生意気”というのは、無論、良い意味でも悪い意味でもある。


 「自分は“論争”では、周りの友達よりも優れている」と初めて自覚したのは、その時点である。「人が言わない事を自分が言っている」とか、「人が『云々』と言ったのを自分は『それはおかしい』と言える」という、ある種の優越感をもっていた。

 二年生の私達が、「かさこじぞう」で、何時間にもわたって、何を論争していたのかは覚えていない。しかし、それを何時間も続けていて、「楽しかった」というのが、私の原体験である。

 これが、八歳くらいの時だ。今考えれば、周りには「面白くない」という友達も沢山いたであろう。それでも、そういう「教育」が、当時は存在したのである。今、「討論」の授業を目にする事は、ほとんどない。まして、低学年から「討論」をやらせる等、耳にする事もない。しかし、私には、この時の授業が合っていた。

 三―四年生は、持ち上がりで「グループ活動」や「討論」の好きな担任だった。


 自分達で企画をして、モノを作ったり、イベントを創ったりした。保護者との「討論会(親に文句を言う会)」も行われた。

 小学校低学年の最初に刷り込まれた「様々な意見を発言するのは良い事だ」という意識は、小学校では許容されても、中学校では拒絶された。最初から、大変な事になった。中学校に入ると、「靴下の色を統一する」「髪型を統一する」等、妙な「校則」が様々に提案された。

 「生徒会」という名前を使って、「教師」が押し付けるのである。こちらは「討論」で育ってきているので、一年生であるにも関わらず、平気で「生徒集会」で反対発言をする。特に、私の居る学級はガンガン発言していた。最後は、職員室まで行って、教師と論争していた。今、自分が教師となって考えてみると、これは明らかに「反乱分子」である。私の学級は特に“異端”だった。


 “ワル”ばっかり居て、様々な問題があったが、それはそれとして、結束力が強く、楽しい学級だった。

 私は、このように、昔から討論が好きで、どこでもやっていたのである。それは、小学校に入った七―八歳の段階で、「自分の意見を言いなさい」、「自分の考えを大事にしなさい」、「言いたい事があるでしょう」という教育を受けた事が、原体験としてあるからに違いない。


 良否は別として、子供が物心ついて初めて所属する「公的教育機関」で、どのような教育を受けるかは、このように極めて大事だ。ある意味で、その人間の一生を規定する。その教育に応えるだけの力が集団に潜在していれば、「自分の言いたい事を言え」、「おかしいと思ったら、おかしいと言え」と促される環境は、素直な子どもたちを「討論」好きに育てるのである。


 現在、小学校低学年のうちから「討論」をやらせる事には、議論の余地があるだろう。しかし、私のような子ども、いろいろな子どもがいるのであるから、授業にはそのようなオプションもあって然るべきだ。そういう「教育」も、やろうと思ったら、できるのだという力を、一つの理想形態として、教師はもつべきである。

 本書では、そういう「討論」の授業が、誰にでもできるようにまとめてみた。


 ぜひ、強い子どもたちを育てる一助となれば幸いである。


  二〇〇八年七月   向山一門代表 /伴 一孝

著者紹介

伴 一孝(ばん かずたか)著書を検索»

1962年生まれ

1985年 長崎大学教育学部卒業

2003年 長崎県西海市立瀬戸小学校

向山洋一弟子・向山一門事務局

TOSS長崎代表

『向山型国語教え方教室』誌(明治図書)副編集長

藤本 敬介(ふじもと たかゆき)著書を検索»

長崎県長崎市出身

長崎大学教育学部卒

長崎市立矢上小学校勤務

※この情報は、本書が刊行された当時の奥付の記載内容に基づいて作成されています。
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