教え方のプロ・向山洋一全集10教育技術の必要性

好評4刷

教育技術とは何か。教育技術は現場から生み出される。医学における技術の問題、驚きのある指導技術を幾千幾万と、「わずか三分間で終えた討議」への批判。子どもへの配慮等。


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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-401012-1
ジャンル:
授業全般
刊行:
4刷
対象:
小学校
仕様:
A5判 184頁
状態:
在庫僅少
出荷:
2019年10月16日
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もくじ

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まえがき
T 技術は現場の学問
一 教育技術は教育科学より昔から存在した
二 教育技術とは何か
三 「技術」の定義
四 教育方法とは何か
U 教育技術は現場から生み出される
一 技術は現場から生まれる
二 技術は願望の具体的表現
三 教育技術を生み出す方法がある
四 プロの教師は教育技術をもっている
五 教育技術に「絶対」はない
六 授業技術が全員を生かす
七 「大・小・微」の教育技術
八 個別指導の原体験
V 医学における技術の問題
一 技術が向上すると仕事がおもしろくなる
二 医療技術の重大さ
三 「思い」を「方法・技術」に高める
W 驚きのある指導技術を幾千幾万と
一 一つの教育技術にもねらいはたくさんある
二 小島論文の誤り
X 『たのしい授業』誌で呆れられた『教室ツーウェイ』誌
一 「海賊船物語」と「船長さんの帽子」
二 オリジナルはどちらか
三 「原典」「出所」にこだわる
四 教育を実現する三つの要素
Y 「わずか三分間で終えた討議」への批判
――平等主義と加点主義――
一 三分間の討議
二 決議内容を比較する
三 減点主義こそ教育の問題
Z 子どもへの配慮
一 休んだ子へ
二 ある「いじめ」
[ 「自由で平等」な場からの出発
――一九七一年度全国教研東京代表レポート――
一 「班競争・ボロ班制度」を批判する
二 「自由で平等」な場からの出発
・全国教研報告書
1 東京教研の概要報告
2 報告書ができるまで
3 「自由で平等」な場からの出発
4 集団主義教育への出発
5 集団主義教育への視点
6 集団形成の方法と内容
\ 大西忠治『核のいる学級』を読み直す
――最後の場面を実践のはじめにせよ――
一 大西実践との出合い
二 私の大西観
三 核の位置は可動的でなければならない
附録 向山学級を分析する――ある卒論と指導教官の分析――
一 卒業論文中間発表―教室文化形成過程に関する一考察― /片桐 隆嗣
1 問題設定
2 研究方法
3 データの提示
4 データ解釈
二 教師「向山洋一氏」の力量 /明石 要一
はじめに
1 子どもの何が変わったか
2 子どもはなぜ変わったか
むすび
教育技術の必要性の解説

まえがき

 いつの間にか、たくさんの文を書いてしまったというのが実感である。

 三十数年昔、教師になった時、「退職するまでにせめて一冊の本を出したい。それは自分が教師として生きた証である」と思ったものだった。

 でも、一冊の本を出すことは、私にははるかに遠い願いだった。

 東京の片隅で小さな勉強会、京浜教育サークルを作った私には、雑誌論文を書くチャンスさえなかったのである。

 当時は、民教連の全盛時代、民教連の活動家に「向山は、一度も雑誌論文を書いたことがないじゃねえか」と嘲笑されたものだった。


 私は教室での実践、学校での研究に没頭していた。

 基準は一つ。「子どもの事実」を作り出すことである。

 私はきれいごとの主張が嫌いだった。

 とてもできないようなことを、口当りのいい言葉でかざり立てるのが嫌いだった。

 そこに「嘘」を感じたからである。

 教師の研究は「事実」のみに立脚すべきであるし、「巧妙な言いまわし」でごまかしてはいけないと思っていたのだ。

 「跳び箱が跳べない子をどのようにしたら跳ばせられるか」

 「どの子も発言するには、どう授業したらいいのか」

 「討論の授業は、どう組み立てるのか」

 このようなことが、私の関心事であった。


 新卒研修の時も、私の発言は遠慮がなかった。研究授業の後、協議会があり、指導主事がまとめをする。

 私と石黒は、指導主事のまとめに納得できないと、

 「指導主事先生に質問があります」と手をあげたものだった。

 指導主事先生のまとめへの批判だった。

 しかし、言い方は気をつけた。上品に、ていねいに発言した。

 だから、嫌味な新卒教師だった。でも、そんな私たちをかわいがってくれる先輩もいた。

 大田区には、さまざまな研究団体の中心的実践家がいた。社会科の初志の会の編集長もいたし、日本作文の会、児言研などの委員長もいた。大村はま氏もいた。初等理科教育研究会の中心、坂本先生もいた。そこに、向山、石黒などが新卒で入ったわけである。


 私たちは社会科の初志の会の先生方にかわいがられた。

 授業が上手な先生方だった。

 授業記録を大切にする先生方だった。

 尊敬できる先輩に出会えたのは、幸せなことだった。

 民教連の活動家は、政治向きの話をすると熱心になるが、授業そのものはレベルが低かった。というより、まともに研究をしていなかった。

 私は、学校の中での実践を地道に続けていた。

 三年、四年、五年、六年と持ちあがり、新卒四年目の時、東京代表として全国教研に参加をした。

 東京の各区、各市の代表はすべて、全生研の実践だったが、講師であった全生研の竹内常一氏をして「こんなひからびた実践では駄目なのだ」と言わしめた低レベルであったのである。

 竹内、中野両講師の推薦で、私は東京代表になった。全国教研でも、各県代表の全生研と論争することになる。私の発言は注目を集め、日ごとに生活指導の分科会は参加者がふくれあがっていた。一つの分科会が二千名近くにもなったのである。

 その時、江部さん、樋口さんは、別の分科会にいた。

 後に法則化運動を誕生させる両者は、すれちがったのである。

 しかし、これは神様のおぼしめしであったと思う。

 私が世に出るには、まだまだ充電期間が必要だった。

 その時、世に出ていたら、この全集は誕生しなかっただろう。


 大森第四小学校で、その後、さらに三年の実践をつみ、私は教師八年目に調布大塚小学校に転任する。

 そこで、分析批評に初めて出会う。

 日本の小学校では、初めての分析批評の実践、研究をつみあげることになる。

 教師一〇年目、私は一冊の本を世に出した。

 「教師修業十年」(原題「斎藤喜博を追って」)である。

 この本によって、私は何人かの実践家、研究者と知りあう。

 そして、あの「出口論争」への投稿、参加、「現代教育科学」誌は私の投稿をとりあげたのだ。

 現在に至るも、私の論文のみであると江部編集長は言う。

 この論文によって、私の世界は大きく開かれていく。


 私は「子どもの事実」を大切にしてきた。「学校の研究」に没頭してきた(テーマを小さく限定した「問題提起のある研究」をいつも主張してきた)。

 このことによって、私は「文を書く場」が与えられてきたのである。


 子どもに力をつけよ。事実で証明せよ。

 嘘を言うな。きれいなことばでごまかすな。

 こうして過ごした三〇年余りの教師生活、いつの間にかたくさんの本を書いていた。


 向山洋一全集を作るにあたって、これまでの「全集」の作り方とは全く違うものにしようと考えた。

 普通なら、私の書いた本を年代別に、立派な表紙をつけて刊行していくことになる。

 それは、本棚などに飾っておくのにはよいが、実用的ではない。

 私は、自分の本を、多くの先生方に役立ててもらいたいのだ。

 それには、立派な表紙より、ペラペラの表紙の方がいい。値段もかなり安くなる。

 また、これまでの本をもう一度出版するというのも、どこか腑に落ちない。

 わざわざ、自分の本を集めてもう一度「全集」とするのは、どこか、ひっかかる。

 しかし、向山の実践を集大成しておきたい。

 この二〇年間に書いた本は百冊に近く、その上「実物資料」や「雑誌論文」や「あちらこちらに書いた文」を集めると、膨大な数になる。

 しかし、あまりにも膨大で、多方面にわたる。

 たとえば、「いじめ」の文章を読もうとすると、一冊はまとまっているが、あちらこちらの本に散らばっている。


 これらを集大成したい。

 幸いなことに、私の主張は教師になって以来、一貫している。

 ぶれていないのだ。

 三〇年前の文は二〇年前の文につながり、それは一〇年前の文に発展して、現在につながっている。

 私の主張は、あちこちに飛んではいない。

 それは「子どもの事実」と「自分の腹の底にズシーンとくる実感」を大切にしてきたからだ。

 向山の文章の主張が一貫しているわけだから、「古い文章」と「新しい文章」がまぜこぜになっても、問題は起こらない。

 かえって「読む側」にとってみれば、同じテーマの文章が時系列に入っていて、都合がいい。役に立つ。

 ここで、前代未聞の編集方針がうち出された。

 向山の本をすべて解体してバラバラにし、それを再編集するのである。

 つまり、一冊の本を章ごとに一〇から二〇ぐらいのユニットに解体する。

 これを、すべての本、文章について行った。

 六畳ぐらいの部屋にユニットが山のようになった。

 ユニットの数は千数百にのぼった。

 これを、教科別、学年別、テーマ別に分類していった。

 この作業は中央事務局が担当して、一年かかった。そのうち二〇名で丸一日作業した日が三日あった。

 解体作業、部門別再編までが中央事務局の仕事である。

 それをもとに、私の弟子(一二名)が一冊ずつ編集を担当した。

 九州から北海道から鳥取、岡山、大阪などから集まってもらって合宿をした。二泊三日の合宿を四回にわたって実施した。

 編集作業は、ホテル会議室、TOSSビル会議室で行った。途中のものは、家に帰っての宿題にした。

 かくして、第一期一五冊ができあがった。

 解体、バラバラ、再編の仕事をしてできあがった本は、まるで新しい本になった。

 私の本を熱中して読んでいる中央事務局、弟子の面々が夢中で読みふけったほどである。

 これなら、ほとんどの人にとっても読みごたえのある本となるだろう。

 本シリーズ編集を熱意をもってすすめて下さった江部満、樋口雅子両編集長に心から感謝をする。

 あわせ、向山の本に支援、共鳴、共感を寄せて下さった多くの読者に心から感謝する。

 本全集は、多くの人の支えによって誕生した。


  一九九九年七月三〇日 超満員の法則化北海道セミナーにて   /向山 洋一

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