教え方のプロ・向山洋一全集7知的追求・向山型社会科授業

好評5刷

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指導計画の作成と内容の取扱、授業研究検討の観点、「戦争と平和」学習−授業づくりの論争点はどこか、「憲法の制定と役割」、原子力世界の考え方、歴史は何のために学ぶ。


紙版価格: 1,800円+税

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電子書籍版: なし

ISBN:
4-18-400722-8
ジャンル:
授業全般
刊行:
5刷
対象:
小学校
仕様:
A5判 208頁
状態:
在庫僅少
出荷:
2019年10月21日
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もくじ

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まえがき
T 指導計画の作成と内容の取扱いの具体化を!
一 社会科厳選のポイント
二 「学習方法」も厳選せよ
三 事例を取り上げ調査する学習方法
U 授業研究検討の視点
一 全体研究の課題「再現する」を考える
二 歴史の授業を考える
三 人物の扱いをめぐって
四 情報の収集・整理をめぐって
五 情報の選択能力の系譜
六 「人物を通して」の歴史学習
1 指導計画をめぐって1
2 指導計画をめぐって2
3 指導計画をめぐって3
七 「基礎・基本を身につける」をめぐって
八 単元・目標の設定をめぐって1
九 単元・目標の設定をめぐって2
一〇 身分制についての学習
一一 人物を通して明治時代を学習する
1 指導計画の作成1
2 指導計画の作成2
3 指導計画の作成3
4 指導計画の作成4
5 指導計画の作成5
一二 教材研究覚書 明治時代
一三 福沢諭吉と人間へのめざめ
1 福沢諭吉と人間へのめざめ 指導の記録1
2 福沢諭吉と人間へのめざめ 指導の記録2
3 福沢諭吉と人間へのめざめ 指導の記録3
4 福沢諭吉と人間へのめざめ 指導の記録4
5 福沢諭吉と人間へのめざめ 指導の記録5
6 福沢諭吉と人間へのめざめ 指導の記録6
一四 資料活用能力の系譜
一五 向山学級 歴史授業の経過
V 「戦争と平和」学習
―授業づくりの論争点はどこか 〜歴史の検証に耐えられる事実に基づく教育を〜
一 向山の平和学習
二 事実を正確に伝える
三 まっ赤な嘘を教える教師
W 「憲法の制定と役割」にかかわる名言・名句
X 原子力世界にはどんな考えがあるのか
Y 日本の子どもが語れる歴史を!
Z 歴史は何のために学ぶのか
一 事実認識と建設的立場
二 まっ赤な嘘を「事実」と教えていた教師
1 教師の魂・教師の良心
2 歴教協の教師がする「朝鮮戦争」の授業
3 正しい事実認識を育てる
三 北方領土を日本の教師はどう教えているか(上)
四 北方領土を日本の教師はどう教えているか(下)
五 「戦後民主主義教育」の下での根幹を変革すべきである
六 理論で現実を解釈する愚かさ
七 事実に立脚した授業を
Q1〜Q3
[ 社会科にとって「教えたいこと」とは何か
一 山下国幸氏「奈良の大仏」追試で見えてきたこと
1 向山と民教連
2 山下氏の「奈良の大仏」授業
二 追試による研究授業
知的追及・向山型社会科授業の解説

まえがき

 いつの間にか、たくさんの文を書いてしまったというのが実感である。

 三十数年昔、教師になった時、「退職するまでにせめて一冊の本を出したい。それは自分が教師として生きた証である」と思ったものだった。

 でも、一冊の本を出すことは、私にははるかに遠い願いだった。

 東京の片隅で小さな勉強会、京浜教育サークルを作った私には、雑誌論文を書くチャンスさえなかったのである。

 当時は、民教連の全盛時代、民教連の活動家に「向山は、一度も雑誌論文を書いたことがないじゃねえか」と嘲笑されたものだった。


 私は教室での実践、学校での研究に没頭していた。

 基準は一つ。「子どもの事実」を作り出すことである。

 私はきれいごとの主張が嫌いだった。

 とてもできないようなことを、口当りのいい言葉でかざり立てるのが嫌いだった。

 そこに「嘘」を感じたからである。

 教師の研究は「事実」のみに立脚すべきであるし、「巧妙な言いまわし」でごまかしてはいけないと思っていたのだ。

 「跳び箱が跳べない子をどのようにしたら跳ばせられるか」

 「どの子も発言するには、どう授業したらいいのか」

 「討論の授業は、どう組み立てるのか」

 このようなことが、私の関心事であった。


 新卒研修の時も、私の発言は遠慮がなかった。研究授業の後、協議会があり、指導主事がまとめをする。

 私と石黒は、指導主事のまとめに納得できないと、

 「指導主事先生に質問があります」と手をあげたものだった。

 指導主事先生のまとめへの批判だった。

 しかし、言い方は気をつけた。上品に、ていねいに発言した。

 だから、嫌味な新卒教師だった。でも、そんな私たちをかわいがってくれる先輩もいた。

 大田区には、さまざまな研究団体の中心的実践家がいた。社会科の初志の会の編集長もいたし、日本作文の会、児言研などの委員長もいた。大村はま氏もいた。初等理科教育研究会の中心、坂本先生もいた。そこに、向山、石黒などが新卒で入ったわけである。


 私たちは社会科の初志の会の先生方にかわいがられた。

 授業が上手な先生方だった。

 授業記録を大切にする先生方だった。

 尊敬できる先輩に出会えたのは、幸せなことだった。

 民教連の活動家は、政治向きの話をすると熱心になるが、授業そのものはレベルが低かった。というより、まともに研究をしていなかった。

 私は、学校の中での実践を地道に続けていた。

 三年、四年、五年、六年と持ちあがり、新卒四年目の時、東京代表として全国教研に参加をした。

 東京の各区、各市の代表はすべて、全生研の実践だったが、講師であった全生研の竹内常一氏をして「こんなひからびた実践では駄目なのだ」と言わしめた低レベルであったのである。

 竹内、中野両講師の推薦で、私は東京代表になった。全国教研でも、各県代表の全生研と論争することになる。私の発言は注目を集め、日ごとに生活指導の分科会は参加者がふくれあがっていた。一つの分科会が二千名近くにもなったのである。

 その時、江部さん、樋口さんは、別の分科会にいた。

 後に法則化運動を誕生させる両者は、すれちがったのである。

 しかし、これは神様のおぼしめしであったと思う。

 私が世に出るには、まだまだ充電期間が必要だった。

 その時、世に出ていたら、この全集は誕生しなかっただろう。


 大森第四小学校で、その後、さらに三年の実践をつみ、私は教師八年目に調布大塚小学校に転任する。

 そこで、分析批評に初めて出会う。

 日本の小学校では、初めての分析批評の実践、研究をつみあげることになる。

 教師一〇年目、私は一冊の本を世に出した。

 「教師修業十年」(原題「斎藤喜博を追って」)である。

 この本によって、私は何人かの実践家、研究者と知りあう。

 そして、あの「出口論争」への投稿、参加、「現代教育科学」誌は私の投稿をとりあげたのだ。

 現在に至るも、私の論文のみであると江部編集長は言う。

 この論文によって、私の世界は大きく開かれていく。


 私は「子どもの事実」を大切にしてきた。「学校の研究」に没頭してきた(テーマを小さく限定した「問題提起のある研究」をいつも主張してきた)。

 このことによって、私は「文を書く場」が与えられてきたのである。


 子どもに力をつけよ。事実で証明せよ。

 嘘を言うな。きれいなことばでごまかすな。

 こうして過ごした三〇年余りの教師生活、いつの間にかたくさんの本を書いていた。


 向山洋一全集を作るにあたって、これまでの「全集」の作り方とは全く違うものにしようと考えた。

 普通なら、私の書いた本を年代別に、立派な表紙をつけて刊行していくことになる。

 それは、本棚などに飾っておくのにはよいが、実用的ではない。

 私は、自分の本を、多くの先生方に役立ててもらいたいのだ。

 それには、立派な表紙より、ペラペラの表紙の方がいい。値段もかなり安くなる。

 また、これまでの本をもう一度出版するというのも、どこか腑に落ちない。

 わざわざ、自分の本を集めてもう一度「全集」とするのは、どこか、ひっかかる。

 しかし、向山の実践を集大成しておきたい。

 この二〇年間に書いた本は百冊に近く、その上「実物資料」や「雑誌論文」や「あちらこちらに書いた文」を集めると、膨大な数になる。

 しかし、あまりにも膨大で、多方面にわたる。

 たとえば、「いじめ」の文章を読もうとすると、一冊はまとまっているが、あちらこちらの本に散らばっている。


 これらを集大成したい。

 幸いなことに、私の主張は教師になって以来、一貫している。

 ぶれていないのだ。

 三〇年前の文は二〇年前の文につながり、それは一〇年前の文に発展して、現在につながっている。

 私の主張は、あちこちに飛んではいない。

 それは「子どもの事実」と「自分の腹の底にズシーンとくる実感」を大切にしてきたからだ。

 向山の文章の主張が一貫しているわけだから、「古い文章」と「新しい文章」がまぜこぜになっても、問題は起こらない。

 かえって「読む側」にとってみれば、同じテーマの文章が時系列に入っていて、都合がいい。役に立つ。

 ここで、前代未聞の編集方針がうち出された。

 向山の本をすべて解体してバラバラにし、それを再編集するのである。

 つまり、一冊の本を章ごとに一〇から二〇ぐらいのユニットに解体する。

 これを、すべての本、文章について行った。

 六畳ぐらいの部屋にユニットが山のようになった。

 ユニットの数は千数百にのぼった。

 これを、教科別、学年別、テーマ別に分類していった。

 この作業は中央事務局が担当して、一年かかった。そのうち二〇名で丸一日作業した日が三日あった。

 解体作業、部門別再編までが中央事務局の仕事である。

 それをもとに、私の弟子(一二名)が一冊ずつ編集を担当した。

 九州から北海道から鳥取、岡山、大阪などから集まってもらって合宿をした。二泊三日の合宿を四回にわたって実施した。

 編集作業は、ホテル会議室、TOSSビル会議室で行った。途中のものは、家に帰っての宿題にした。

 かくして、第一期一五冊ができあがった。

 解体、バラバラ、再編の仕事をしてできあがった本は、まるで新しい本になった。

 私の本を熱中して読んでいる中央事務局、弟子の面々が夢中で読みふけったほどである。

 これなら、ほとんどの人にとっても読みごたえのある本となるだろう。

 本シリーズ編集を熱意をもってすすめて下さった江部満、樋口雅子両編集長に心から感謝をする。

 あわせ、向山の本に支援、共鳴、共感を寄せて下さった多くの読者に心から感謝する。

 本全集は、多くの人の支えによって誕生した。


  一九九九年七月三〇日 超満員の法則化北海道セミナーにて   /向山 洋一

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