- 監修のことば
- まえがき
- T なぜ、初任者のクラスは、生活指導がうまくいかないのか
- 一 生活指導の基本は何か 対処療法でない指導を求めて
- 二 布石を打つ極意 布石の連続が安定感のある生活指導を生み出す
- 三 子どもたちと出会う前に打つ布石の極意
- 1 黄金の三日間ノート
- 2 子どもたちを知ることから始める
- 3 学級に描く夢
- 4 学級のルール、しくみづくり
- 四 黄金の三日間で打つ布石の極意
- 1 名前を呼んでほめる
- 2 アドバルーンには毅然と対応する
- 五 最初の一週間で打つ布石の極意
- 1 「弱肉強食」にしない給食おかわりシステム
- 2 ルールを決める
- 六 最初の参観会・保護者会で打つ布石の極意
- 1 最初の参観会を成功させる─「ほめる」場を意図的につくる
- 2 最初の保護者会─二手間かければ大成功
- 七 学期途中で打つ布石の極意
- 1 夏休み明けに学級で布石を打つ
- 2 筆箱の中身から学級の崩れに布石を打つ
- 八 年度末に打つ布石の極意
- 1 教師の最後の教育である「別れ」
- 2 クラスが一体になる布石を打つ
- U 「やっぱり授業」授業が命、初任者用極意
- 一 初任者こそ考える「子どもはどんな授業をしてほしいのか」
- 1 子どもはどんな授業をしてほしいのか
- 2 さらに一歩向上を目指して
- 二 初任者にできる小さな一歩「名前で呼ぶ、呼び捨てにしない」
- 1 子どもは教師の言葉遣いを真似する
- 2 名前で呼ぶ
- 3 呼び捨てにしない
- 三 初任者にできる「逆転現象を生み出す」
- 1 「いじめ」は「勉強」によっても生まれる
- 2 苦手な女の子が活躍する「向山型ドッジボール」
- 四 初任者にできる「どの子もできるようにする」
- 五 初任者にできる「一人残らず」を創り出す
- 1 「一人一人を大切にする」が「『一人』『一人』を大切にする」へ
- 2 「『一人』『一人』を大切にする」から、「できるようにしてあげたい」へ
- 3 「できるようにしてあげたい」から「一人残らず」へ
- V トラブル発生時の極意
- 一 いじめ─その見つけ方と対応の極意
- 1 いじめは見えにくいものである
- 2 実録 わずか三センチの隙間に見えたいじめと解決への闘い
- 3 教師だけがいじめを爆破・破壊できる
- 二 必ずあるトラブル靴隠し─対応と事後処理
- 三 陰口、悪口、いやな手紙、交換日記トラブル─対応の極意
- 四 保護者からのクレーム対応の極意
- W いるいるこんな子、高学年女子、やんちゃくんへの対応の極意
- 一 いるいるこんな子一〇例 知って得する日常対応の極意
- 1 休み時間のたびにけんか・苦情の嵐に対応する極意
- 2 毎日毎日忘れ物をしてくる子に対応する極意
- 3 一人ぼっちでいる子に対応する極意
- 4 授業中出歩く子へ対応する極意
- 5 机の上も中もノートもぐちゃぐちゃな子に対応する極意
- 6 授業中に友達の失敗などをはやし立てたり、バカにしたりする子に対応する極意
- 7 きちんと説明したはずなのに「先生何やるの?」って聞き返す子に対応する極意
- 8 「男女の仲が悪い」へ対応する極意
- 9 「どうせ僕はだめなんだ」と後ろ向きな子に対応する極意
- 10 登校拒否、登校しぶりに対応する極意
- 二 高学年女子への対応の極意
- 1 ひたすらおとなしく、目立つことをしない子に対応する極意
- 2 目立ちたがりのやんちゃガールに対応する極意
- 3 友達との関係に悩みつつ、うまく表現できない子に対応する極意
- 4 教師を無視する行動に出た子に対応する極意
- 5 体育の見学が目立ってきた子に対応する極意
- 6 友達や先生の悪口ばかり言う子に対応する極意
- 三 女先生、「優等生」先生必見「やんちゃ君」への対応の極意
- X 初任者先生へエールを贈る
- 一 初任者でも保護者、子どもから信頼を得られる技
- 二 実録 保護者からのクレームにこう対応した
- 三 大学生、院生発 生活指導、私なら現場に出たらこうする
- 1 子どもに届く生活指導のために「子どもの実態をつかむ」
- 2 教師の3ステップで、時間を守る子どもが育つ
- 3 ぐちゃぐちゃノートをきれいにして自尊感情を高める
- あとがき
まえがき
本書を手にされた皆さんは、おそらく、初任者もしくは若い先生方であろう。
毎日毎日、子どもたちがつくってくれるさまざまな難題。そして、保護者からの問い合せ、中にはクレームもあろう。それだけでなく、先輩教師や管理職からきついお叱りを受けることもある。
大学時代、教育実習だけが現場の経験だった若き方々にとっては、どれもこれも、難しい対応が迫られる。
子どもたちのきらきら輝く目を、限りない可能性をさらに拡げようと決意してなったはずの教員人生が、うまくいかないで悩むことになるのは、誰もが経験する途である。
止むに止まれず、「見せしめ」のような生活指導をする教師も存在する。
例えば、忘れ物をした子を表にして張り出す。例えば、名札を忘れた子に、大きなプラカードのような名札を貼らせる。例えば、授業中出歩く子を縄で縛っておく。例えば、給食を残す子を昼休み、はたまた、掃除時間中も延々と食べさせる。長い時間をかけてのお説教……。
先生ご自身はその子のためと思ってやっている。
時には、捨てぜりふさえ吐くことがある。
「先生は、怒っているのではないのよ。あなたのためを思ってやっているのよ。」
こうした教育、こうした方法は、子どもにとって、つらくいやなこと、心の傷として残っていく。
本人のためなのだから、つらい、いやなことだって、当然やらなきゃならないのだと助言をくれる先輩教師もいるだろう。
だからといって、それは「子どものため」と許されるのか。しばし、立ち止まって、考えてほしい。
次の文章を読んだ時、私は、如何に自分が鈍感であったかを思い知らされた。
動機の正当性は、行為の正当性と比例するのではない。
動機の正当性は、行為の残酷さの免罪符にはならない。
動機が善意に満ちていればいるほど、それに比して残酷となる行為もある。
『教師修業ツ 授業の腕をみがく』向山洋一著 明治図書
先生ご自身が何とかその子をよくしたいと思って行った行為、方法は、「よくしたい」と思ったのであれば、どれも許されるのか。そんなことはない。どんなに、その思いが強くても、動機は善意に満ち溢れていたとしても、その先生がされた「行為」を見なくてはならない。
向山洋一氏は前掲書で次のように結ぶ。
人の師であるという、恐れおののきを失った時、私たちは教師の善意の行為は悪魔の行為に化身するのである。
初任者として、また、若き教師として、「夢や希望」に満ち溢れて教師生活をスタートさせた。そうした夢や希望を持った先生ご自身が子どもにする生活指導の「行為」「方法」が、子どもたちの可能性を最大限引き出せるようであってほしい。
生活指導の基本は何か。しつけをちゃんとすることだと考えている初任者や先生方が多いのではないか。
それは、生活指導のごく一部であることを自覚しておかなくてはならない。
それでは、生活指導の基本は何か。どのような生活指導をすれば、子どもはきらきら目を輝かせ、そして、子どもの限りない可能性を引き出すこととなるのか。
TOSS(向山洋一代表)、向山型指導で学んだ教師が作った本書にはそれが「極意」という形で詰まっている。
どの子も大切にされなければならない
どの子も可能性がある
それは、一人の例外もない
このことを具体的に「生活指導」の「行為」「方法」として示したのが本書である。
日本の宝である子どもたちを、今後、ずっと育て続ける初任者や若き先生方にとって、まずどうしたらいいのかという対処する方法と、なぜそうするのかといった意味が示されている本書が、「今、教室の現場で困っている子ども、困っている先生」に役立つことを願う。
二〇一〇年一一月 /杉山 裕之
-
- 明治図書