- 改訂版のはしがき
- 第一部 向山教室の授業実践記(一九七九年)
- はしがき
- T 教師と技術
- 一 斎藤喜博氏を追って
- 二 「日曜だけが好き」だった子
- 三 「台形の面積を五通りの方法で出しなさい」
- U 教師と問題児
- 一 天井裏から音がかえった――登校拒否――
- 二 「ぼく死にたいんだ」――情緒障害――
- V 教師と修業
- 一 放課後の孤独な作業
- 二 新卒時代の日記
- 三 子どもに自由と平等を!
- 四 教育実習生の変革
- W 教師と仕事
- 一 王貞治さんへ
- 二 「しんどい」とは人様が言うことだ
- 三 悪人じゃないが鈍感すぎる
- 四 楽しい日は一日もなかった―子どもの日記―
- X 教師と交信
- 一 てふてふが一匹……渡って行った
- Y 教師と仲間
- 一 東京の片隅の小さな研究会
- <付録> 六年一組学級経営案
- 少し長いあとがき
- 第二部 今その道をさらに(一九八六年)
- 一 「実践記」の出版企画
- 二 「実践記」の主張・その発展
- 改訂版のあとがき
改訂版のはしがき
本書第一部は私の処女作であり三十五歳の時の作品です。
本書第一部の原題は『斎藤喜博を追って』向山教室の授業実践記――です。昌平社から一九七九年四月に出版されておりました。この本を世に出して下さったのは、旧昌平社の久木社長なのですが、病気になって同社を退くことになりました。
それに伴って、この本も久木氏の手を離れることになり、明治図書の教師修業シリーズに加えられることになりました。
かつて私は本書の書名として、『教師修業十年』を考えました。久木氏はこれに反対で『斎藤喜博を追って』(向山教室の授業実践記)を主張されました。
書名は約束によって出版社がつけるということになっていたので、久木案通りとなりました。
私は少し不満でしたが、結果としてはこれは大成功でした。というのは、この書名によって何人かの人と知りあうことになるからです。
名古屋大学の安彦忠彦氏がそうです。
明治図書の江部満氏、樋口雅子氏がそうです。
京浜教育サークルの板倉弘幸氏がそうです。
現在の私にとって大切なこの方々は、『斎藤喜博を追って』の書名によって本を手にとることになります。
改訂版を出すにあたり、次の内容をつけ加えることにしました。
一 処女作『向山教室の授業実践記』の出版企画は、どう準備されたか。
二 処女作『向山教室の授業実践記』の内容はその後、どう発展させられたか。
著者の主張は「処女作に帰る」とか言われます。
著者の処女作はある意味で、著者のすべてです。
「向山の実践・理論」の原型は、すべてこの本の中に示されています。
教育の技術とは何なのか、教育の仕事とは何なのかをこの段階で意識しております。
「向山洋一の教師修業シリーズ」の第十巻にこの本が入るのは、私としてはこの上ない幸運だと思っています。
きっと運命の神々が私にプレゼントをしてくれたのでしょう。
「向山洋一の教師修業シリーズ」は、本書をもって全十巻となります。これを機に「第一期教師修業シリーズ」完結ということに致します。
なお、ひき続き「向山洋一の第二期教師修業シリーズ」を刊行していきます。
『斎藤喜博を追って』は、なかなか手に入らないので「幻の名著」とか言われていたようです。
自分の本を「名著」などと言うのは、あつかましいのですが、聞いた話です。お許し下さい。
この本を読み出すと、とりつかれてしまい「一気に読んでしまう」ということだそうです。
「寝ないで読んでしまった」というような便りを何百通かいただきました。
もちろん、これは、反対から言えば「主張が強すぎる」ということですから「鼻もちならない」と思われる方もおられましょう。
私は、この本を書いた時、三十五歳でした。
東京の片隅の名もない教師でした。
お世話になった久木社長に原稿を渡す時、次のように言いました。
「今後、五十年間はこの本は残ると思います。それだけのことを書いたつもりです」
昌平社は小さな出版社ですから、広告も出せず、書店への配本もままならない状態でした。
でも、この本は、口から口に伝わって、広がっていきました。
本が広がるのは宣伝の力ではありません。
読者がその本の良さを語ってくれることが第一なのです。
その後、私は、二〇冊に近い本を出版しました。
「向山洋一現象」とか「向山洋一シンドローム」が、朝日新聞、毎日新聞でもとりあげられ、NHKテレビ、テレビ朝日などでも放映されています。
その私の出発点は、この本でした。
当代きっての教育書の編集者、江部満氏と樋口雅子氏は、常に言ってます。
「私は久木直海氏に恥ずかしい。何で向山洋一氏を先に見つけられなかったのか。無名の向山洋一氏を一足先にさがし出した久木直海氏に、編集者として敬意を表する」
この話を久木氏に伝えました。
「いや、私は、たまたまめぐりあっただけなのです」と久木氏は語っていました。
さて、この本が「五十年間の歴史に耐えて残るに値する教育書かどうか」ぜひ、読者の皆様のご判断をあおぎたいところです。
一九八六年五月三日 /向山 洋一
初任者研修を終えたら、どうやって仕事と向き合ってゆけばよいのか。
教育活動が思うように行かないのは、子どもが悪いのか、家庭が悪いのか、それとも教師が悪いのか。
授業の準備はどの位までやれば、やりきったといえるのか。
全ての疑問の答えが、この中にあるだろう。
過去に圧倒的なプロ意識を持って、初任から10年間奮闘した教師がいたこと。
どこまでも高い理想を求めて、教室の子ども達と向き合った実践があったこと。
そして、恐るべき実践の数々が子どもを変容させた事実があったこと。
この全てを特に若い物は、知るべきだ。
本書は教育界の金字塔として、いつまでも輝き続ける歴史的名著である。