子どもの規範意識の育て方 高学年

子どもの規範意識の育て方 高学年

生活指導や授業での規範意識の育て方を詳述。

規範意識の実態を学校生活、学校外、ケータイなどから分析。学級システムで規範意識を育てる実践、規範意識を育てるささやかなつき合い方などを示した。さらに授業で育てる規範意識を国語、算数、社会、理科、体育、音楽などを通して明らかにした実践記録集。


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ISBN:
978-4-18-150516-5
ジャンル:
学級経営
刊行:
対象:
小学校
仕様:
A5判 152頁
状態:
在庫僅少
出荷:
2019年8月26日
新学習指導要領解説書籍
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もくじ

もくじの詳細表示

監修のことば――教師の「心のベクトル」こそ肝要だ――
T 規範意識の実態
1 データから見る規範意識の実態 /上野 裕之
2 教師から見た規範意識の変化(学校生活) /久保 宏行
3 教師から見た規範意識の変化(学校外) /藤田 哲夫
4 教師から見た規範意識の変化(携帯、HP) /上野 裕之
U 生活指導の中で規範意識を育てる
一 学級システムで規範意識を育てる
1 下駄箱指導で育てる /木下 和弥
2 朝読書で育てる /杠 友樹
3 朝の会で育てる /松原 貴大
4 あいさつで育てる /末光 秀昭
5 五色百人一首で育てる /末光 秀昭
6 給食指導で育てる(準備編) /小田 哲也
7 給食指導で育てる(おかわり編) /善能寺 正美
8 掃除指導で育てる /川谷 貴浩
9 係活動で育てる /久保 宏行
二 規範意識を育てるささやかなつき合い方
1 忘れ物の指導 /坂口 慎英
2 ほめて伸ばす /藤本 貴美子
3 「人に迷惑をかけていない」にどう反論するか /坂口 慎英
4 「みんなやっている」にどう反論するか /木下 和弥
5 「○先生はいいといった」にどう反論するか /上野 裕之
6 いじめの芽を摘み取る指導 /東 邦彦
7 くつ隠しが起きた時の指導 /東 邦彦
8 席替えをする時の指導法 /永川 俊文
9 遅刻者へのひとこと /坂口 慎英
10 けんかが起きた時の反応 /善能寺 正美
V 授業で育てる規範意識
一 各教科で育てる規範意識
1 国語の授業を通じて育てる(漢字指導) /藤本 敬介
2 国語の授業を通じて育てる(音読指導) /松原 貴大
3 算数の授業を通じて育てる(持ち物) /松田 健之
4 算数の授業を通じて育てる(計算指導編) /松田 健之
5 社会の授業を通じて育てる /吉武 徹也
6 理科の授業を通じて育てる /善能寺 正美
7 体育の授業を通じて育てる(授業のシステム) /山田 智英
8 体育の授業を通じて育てる(水泳) /吉武 徹也
9 体育の授業を通じて育てる(運動会) /小田 哲也
10 音楽の授業を通じて育てる /善能寺 正美
11 英語の授業を通じて育てる /川田 紗弥香
二 道徳の授業で育てる規範意識
1 「命」の大切さを伝える授業 /末光 秀昭
2 「先人に学ぶ」ことを伝える授業 /永川 俊文
3 礼儀の大切さを教える授業 /坂口 慎英
4 掃除をすることの大切さを伝える授業 /川谷 貴浩
5 「人の役に立つ」ことを伝える授業 /伴 佳代
W 連携して規範意識を育てる
1 学校のシステムの中で規範意識を育てる /藤田 哲夫
2 家庭と連携して規範意識を育てる /川口 悦史
3 学級通信は、規範意識を高めるツール /桐谷 行一
4 地域と連携して規範意識を育てる /中尾 憲治
5 クラブ活動を通じて育てる /杠 友樹
X 古今東西に学ぶ規範意識の育て方
1 寺子屋に学ぶ /上野 裕之
2 幼学綱要に学ぶ /上野 裕之
3 修身に学ぶ /伴 佳代
一 外国に見る規範意識の育て方
1 フィンランドに学ぶ /山田 智英
2 アメリカに学ぶ /上野 裕之
3 中国に学ぶ /上野 裕之
あとがき

監修のことば──教師の「心のベクトル」こそ肝要だ──

 人間の心のベクトルには、三種類ある。ひとつは「未来に生きる」、今ひとつは「現在に生きる」、最後のひとつは「過去に生きる」である。

 長崎市のある指導主事が「〇年前に伴先生の授業を見て、心底衝撃を受けた」と発言した。

 当時の伴学級は、あの「やまなし」をやった六年生。その時は、室生犀星を扱った討論の授業を「学校訪問」で公開したのである。

 その後、私は四年生担任になった。四月、学級をもってびっくりした。まるでなっていないことばかりだったからだ。数年来、かなりひどい先生に担任されていたようである。

 「何でこんなこともできないんだ」

 「これもやってない、あれもできてない」

 「話は聞けない、動けない」


 こんなことばかりで、学級を訪れる卒業生に、「疲れるよ」とよく話していた。そのままいくと、おわかりのように、当然「自分の実践はこんなものじゃない。もっと凄い仕事ができるんだ」と、以前の六年生の実践にばかり目が向いてしまう。心のベクトルが「過去」に向かうのである。

 そこで私は、四月の最初に研究授業を引き受けて、自分の現在の仕事を公開した。


 無論、つい一カ月前までやっていた仕事(授業実践)とは、天と地ほどの開きがある。初めて私の授業を見る方は「何だ、あの人ってこの程度なのか…」と思うはずだ。それでも、私はそこに自分を追い込んだ。つまり、そうすることによって、


  前の学年での自分の仕事を、全て否定した


のである。

 そうやって「最低の状態」を公開してしまえば、後はもう上ってゆくだけだ。怖いもの無しの状態になる。目の前の仕事に、自分自身が没頭できるようになるのだ。

 結果として、その学級は一年間で相当なものになった。「包丁でスタン・スタン・スタンと切っていくような授業」ができるようになったのである(件の六年生よりも速い授業になったはずだ)。最低の、まるでできなかった子が一〇〇点をとり、どの子ができる子で、どの子ができない子かわからない状態になった。


 その子たちは、五年生では「最高の学年」と評された。

 もし、私が「自分の授業は凄かった」「自分の仕事はこんなものではない」と、過去の実践にしがみついていたら、このような仕事はできはしなかっただろう。「過去」が素晴らしければ素晴らしいほど、その「過去」は「現在」の自分を縛る。そこから脱却するには、「過去」を否定するしかない。だから、いかに「自己否定」することが大切かということなのだ。


 これは、向山洋一氏の哲学そのものだ。教師にとって「自己否定」とは、まずい授業の公開、研究授業に他ならない。ここから逃げる教師には、絶対に「新しい仕事の創造」などできるものではないのである。


 学校で行った「基礎・基本徹底システム」の研修で、計算テストの結果報告があった。ほとんどの先生方が、全てきちんと私が提案した形式で、個人名入りの結果(どの問題ができてどの問題ができてない)を報告した。


 ところが、そうではない年輩教師がいる。ある人は、はなから報告しない(通知票を付けていた)。ある人は、個人名を抜いて報告した。これを司会の教頭が、黙って通過させた。それで終わろうとするので、私は手を挙げた。「形式を守って提出してほしい」と発言したのである。本来、これは私が言うべきことではない。だから、「管理職がちゃんと指導してください」と言ったのである。この時点で勤務時間は終了していたので、あとは発言できなかった(出さなかった方は、いつもは勤務時間にうるさいのだが、こんな時だけはグチャグチャとわけのわからない言い訳をしていた)。

 終了後、教頭から校長室に呼ばれたので、いくつか話をした。


 「例えば私は、運動会は無くてもよいと思う」

 「しかし、学校の会議で共通理解したことだから、きちんと行う」

 「ところが、私の学級の子どもたちだけ、覆面をして走らせるとする」

 「これが『個人名を出さない』ということだ」

 「もしくは、うちの学級だけ運動会をボイコットする」

 「これが『報告をしない』ということだ」

 「運動会でそういうことが起こっても、黙って見て見ぬふりをする人はいない」

 「なぜならば、親や地域が見ているからだ」

 「では今日のはどうか。親や地域が見ていないから、見て見ぬふりが通るのか」

 「運動会と、子どもに基礎・基本の力をつけるのと、どっちが大事なのだろうか」

 「学校経営方針にも『基礎・基本の力をつける』『一人ひとりを伸ばす』と書いてある」

 「学校経営方針には、『運動会をしっかりやる』とは書いていない」

 「題目だけの経営方針ならば、やめてほしい。もっともらしいことを言わないでほしい」


 次の「基礎・基本徹底システム」の報告会で、私は二年生の時「一組」だった子たちがかけ算九九を覚えていないと、事実を報告した。二年一組担任だったのは、既に退職したが、滅茶苦茶なことをやっていた教師だ。そうすると、前回「覆面」で報告をした教師は、「特定の人を名指しで厳しく批判している」と攻撃してきた。私は、それ以上反論しなかったが、本当に「一体何を考えているのだ」と思っていた。大切なのは「子ども」である。これは間違いない。誰に尋ねたってそうのはずだ。「子ども」を守るのが私たちの仕事なのである。ところが彼らは、「自分たちの立場」「仲間の立場」を守ることを優先する。「わけの分からない教師」が可愛そうなのか。「わけの分からない教師に習った子どもたち」が可愛そうなのか。どっちなのかと私は言いたい。この一事をとっても、彼らのメンタリティが腐ってしまっていることがわかる。TOSSは彼らと全く次元が違う。仲間だからこそ、正面切って批判(喧嘩)できるのだ。彼らの間では、おそらくそういうことはないのではないだろうか。甘ちゃんの、母性オンリーのぬるま湯集団に堕落しているのが見て取れる。

 「規範意識」は、むしろ教師にこそ、求められている。その自覚をもって、本書を編纂してみた。


  二〇〇八年七月   /伴 一孝

著者紹介

伴 一孝(ばん かずたか)著書を検索»

1962年3月生まれ

1985年長崎大学教育学部卒業

現在,長崎県西海市立瀬戸小学校勤務

『向山型国語教え方教室』誌(明治図書)副編集長

TOSS長崎代表

上野 裕之(うえの ひろゆき)著書を検索»

1975年生まれ

1998年九州大学理学部卒業

2000年九州大学大学院理学研究科終了

現在,長崎市立東長崎中学校勤務

TOSS長崎・中学サークル代表

※この情報は、本書が刊行された当時の奥付の記載内容に基づいて作成されています。
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