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著者がキリスト教に入信し,信仰と愛にもとづく教育を展開する過程とえい子夫人の記録を合わせた書。後半には「精薄群像」として随想を収録。
復刊時予価: 3,476円(税込)
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電子書籍版: なし
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「子どもと寝起きをともにして」昭和36年
「のぎく学園消息」昭和37年、38年
「精薄群像」昭和35年
これらがおさめられている。
のぎく寮に集う、子どもたちの姿を語るエッセイ集のようなもの。
昭和30年代の知的障害がある子どもへの教育を見ることができる貴重な本。
「それから、知能だって、特殊教育をしなければ、完全に発揮しているとは、保証できないのですよ。八〇のものが、六〇や七〇ぐらいしか、能力をだしていないから、そののこりの二〇か一〇を、私どもは、ひっぱりだそうというわけですよ。ただ八〇のものに一〇〇の力をださせようとしたり、一三〇の力をださせようとしても、それは無理というよりも、不可能なことなのです。それに、よい性格をつくることや、生活の能力の根本である、はたらくことをおしえることなどは、知能の教育以上にたいせつですよ」(p24)
「それは、愛情からの解放ですよ。愛情だって、あまりすぎると、子どもの心の重荷になるものです。それが、いまは、なくなって、子ども自身が、のびのびとなった。つまり自由をとりもどしたわけですよ。とにかく、あんまりかわいがりすぎると、子どもは、うるさがるのですが、知能がおくれているから、それに反抗もできず、ならされて、ほんとうに、ぐうたらになってしまいます。そこが、この子たちの教育のむつかしいところですよ」(p72)
ちえのおくれた子どもの教育は、生活教育だと、私はおもっています。生活することで、生活することを、まなんでいく教育です。そして、それは、日常生活をとおしてする生活教育、学習指導をとおしてする生活教育、職業指導をとおしてする生活教育の三つの領域にわけられます。(p73)
どの子とも、ほんとうに、なかよしになること。どの子も、ほんとうに、すきになること。それこそが、この子どもたちの教育のいちばん下の土台ですし、それを、つくらないことには、何もできないと、私はおもっています。
あたまの良し悪しだけが、そのものさしになるということを、まずあらためることだ。気だてのよさ。しごとをする力などは、人間のねうちの半ば以上をしめているということを、この世の中は、ともするとわすれている。(p78)
何といっても、この子らの教育には、あせりがいちばん禁物です。三日や五日なら、いそいでもいいでしょう。
また、おもしろいとおもうこともあるでしょう。しかし、それが、五年、十年とつづけてみますと、うんざりすることだってあるのです。そんなとき、どうしてものんきにやることが、いちばんいいなあとおもいます。
ところが、のんきといっても、そうのんきになれないのが、私たちです。やっぱり、のんきになることにも努力がいりますし、また、この子らのことを、ほんとうに、よく理解することもたいせつになるのです。
ともかくも私たちは、やわらかな感じやすい心で、この子らをみることです。ゆっくりおちついてながめ、しずかにやさしい気もちで、この子らを、ながめることです。(p85)
のんき。それは心のゆとりです。ゆとりのある心で、子どもをみると、おもいがけないすばらしいものを、この子らのなかからみいだすこともできるのです。(p88)
印象に残る言葉は宝物。宝石のようにちりばめられている。
絶版なのは惜しい。