- はじめに
- 1章 部活動顧問としての心構え
- 1 生徒あっての部活動
- 2 「地続きの指導」
- 3 同僚との調和
- 4 他校顧問との調和
- 5 保護者・世間との調和
- 6 引退しても部の生徒
- 7 体育会系だけが顧問ではない
- 2章 イマドキの部活動顧問の仕事
- 1 生徒の言動の裏側、背景を見極める
- 2 インクルーシブの視点をもつ
- 3 「ありがとう」を多用する
- 4 「できなくて当たり前」という認識をもつ
- 5 ほめるために叱る
- 6 任せて、問いを投げかける
- 7 生徒の感情の矢印をコントロールする
- 8 「白いご飯」にとっての「ふりかけ」になる
- 9 試合で与えられている「顧問の役割」に敏感になる
- 3章 部活動顧問の悪いクセ
- 1 恐怖で生徒を支配する
- 2 生徒のマイナス面にばかり目が行く
- 3 自分の思い通りになるという錯覚に陥る
- 4 謙遜を通り越して、けなす
- 5 生徒を飼いならす
- 6 ほめない、喜ばない1
- 7 独りよがりに高い目標を掲げる
- 4章 生徒が望む集団 生徒が望む指導者
- 1 生徒と教師のラインがはっきりしている
- 2 ほめることに慣れている
- 3 何がダメか、なぜダメかがはっきりしている
- 4 キャプテンの支えは顧問の先生
- 5 顧問がチームの一番のファン
- 5章 よいチームよい集団になるために
- 1 攻撃的な発言に敏感になる
- 2 「トライ」に最大の賛辞を
- 3 失敗を責めない
- 4 部内ミーティング
- 5 教え合える、アドバイスを請える関係の構築
- 6 自主練と個人練習
- 6章 部活動顧問あるある
- 1 主顧問がいないときに限ってトラブルが起きる
- 2 「家の用事で帰ります」という早退や欠席が相次ぐ
- 3 部内の先輩・後輩の関係がよくない
- 4 ペアの先生の指導がうまくいかない
- 5 「勝負どころ」を逃して生徒を増長させてしまう
- 6 言葉の暴力を放置し、有形の暴力行為を招く
- 7 指導者がその指導に飽きてしまう
- おわりに
- 最後の最後に
はじめに
「働き方改革」「部活動改革」という言葉がすっかり定着しました。教師の仕事において「部活動指導」が大きな負担になっているのは否めません。しかし、学校現場で働く立場からすると、それらの議論に何かモヤモヤしたものを感じます。
部活動はまぎれもなく学校の教育活動として位置づけられており、「法的に…」といった議論で学校現場における部活動の問題が即解決するわけではありません。部活動指導に限らず、そんなに簡単に杓子定規で測れないのが教師の仕事でもあります。
だからこそ、教師の仕事の一つと位置づけて部活動指導について考えていくことこそ、今の学校現場に求められていると僕は考えています。
また、外部指導員は選択肢の一つかもしれませんが、最良とは思えません。勝たせたらそれは成果なのでしょうか。負けたらその指導者は不適格なのでしょうか。学校の部活動とは、すぐに成果が出るものばかりではありません。
とはいえ、従来のままでは部活動やその指導が成立しなくなってきているのは間違いありません。ですから、「部活動指導をしない」という選択肢もあります。
でも、これはとてももったいないように思います。
休日に自身を切磋琢磨しようとしたり、そこで壁にぶつかって自身を見つめようとしたりする経験は、生徒の人間的な成長に大きく寄与します。
だからこそ、「教育活動としての部活動指導」をもう一度精査する必要があります。これからの時代、ニーズに合った形で部活動を残していくためです。
そのためには、「学校ができること」「学校がすべきこと」を学校現場の教師が発信し、自信をもって言い切ればいい。昨今はそういう思いを強くしてきました。
「学校の教師が指導するなら、ここまでできます」
「教師がするから、これができます」
「教師なので、これはできません」
「それは学校の仕事ではありません」
こう考えると、今までがなんでも許容しすぎてきたのです。
特に運動部の指導は、「一番になることを目指してこそ」と思われがちです。休日もすべて返上し、己の身を削ってでも一番を目指す。ときには理不尽にも耐える。こういうことが美学とされてきました。しかし、学校はプロアスリートを養成する場ではありません。
文化部も同じで、活動日数が少ないと活発な部ではないと思われ、コンクールや賞で成績を残す部だけが優れているという価値観がいまだにあります。
「だれのための活動なのか」
「なんのための活動なのか」
「なぜそれをするのか」
これらをはっきり意識し、周囲の雑音に左右されない指導を行う必要があると思います。
本書は、このことを問い直すきっかけになることを願って執筆しました。
試合中、生徒がエラーをしたらすぐに選手を交代していないでしょうか。
休みがちの生徒に「本気じゃないならもう来なくていい」と言っていないでしょうか。
こういった生徒の行動や態度から、何を感じ取らせ、向き合わせるのか。そこに心を砕くことこそ、「教育活動としての部活動指導」だと思うのです。
一つのエラーで試合は決まりません。もっともっとたくさんのことの積み重ねで勝負は決まるものであり、「できないから」「勝てないから」といって終わりでもありません。
そこに向かうまで生徒に何を指導してきたか。何を共有してきたか。「生徒と向き合う」ということを真摯に考えたい。いつも僕はそう思っています。
部活動の中で得た経験、知識、精神力が生徒の将来に大きく寄与するものでなければ活動する意味はありません。優勝しないと将来その生徒は幸せにならないのか。一回戦、予選落ちした子たちは不幸になるのか。もちろん違います。
この『部活動指導の心得』は、部活動指導のノウハウを綴った本ではありません。前著『部活動指導スタートブック』は若い先生やこれから教師を目指す大学生向けに書きましたが、今回はもっと広く、「教育活動としての部活動指導」のあり方について悩まれている多くの先生方に読んでいただけたらと願っています。
「生徒のために」という言葉が、大人の自分勝手な言い分のために独り歩きしないことを願ってやみません。教師はどんな時代であっても生徒の味方なのです。
2019年1月 /杉本 直樹
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- 明治図書
- 部活指導の考え方やあり方はもちろん、日頃の指導や関わり方に関する考え方が書かれていて、参考になった。2019/1/2520代・中学校教員