- まえがき
- 第T章 インターネットの現在の問題点と課題は何か
- 1 はじめての取り組みから
- 2 97年からの変化
- 3 地名リストの増加
- 4 何が問題で何が必要か
- 5 インターネットの問題を国際的にはどのようにしていけばいいか
- 第U章 各地の講演会で
- 1 講演会での話
- 2 学校現場から
- 3 インターネットの情報と個人
- 第V章 インターネットを人権教育に生かすとは
- 1 情報の役割
- 2 情報を活用する
- 3 情報を発信する
- 4 傷ついた人たち
- 第W章 教材としての私のエッセイ
- 1 使われたエッセイ
- 2 息子たちへ
- 3 息子たちへ2
- 4 結婚差別について
- 5 同和対策事業に対する批判の中で
- 6 使用者と発信者
- 第X章 インターネットをとおして
- 1 なぜ必要なのか
- 2 相談の内容から
- 3 親のインターネットの意識
- 第Y章 私にとっての人権教育とは?
- 〜反差別ネットワーク人権研究会の活動から〜
- 1 嫌われた子
- 2 なぜ私が同和教育を思うのか
- 3 人権教育は私にとって
- 資料編
- あとがき
まえがき
さて本書の題名が「インターネットを生かした人権教育」とすること、読者のほとんどのみなさんが教育関係者であることを考慮しなければならないということを考えてみると、
「私でいいのだろうか」
とふと考えてしまうことが多くありました。
私はいわゆる教職員ではありません。教育者として働いた経験は講師をしていたほんの少しの期間です。
その私が教育者向けの本を書くことにいささかの抵抗がありました。
私にとって一番の人権教育を受けたという時期は、前の職場である「三重県人権問題研究所(当時)」に勤めていた時期に出会った多くの同和教育・人権教育を実践している先生方であり、解放運動をしていた亡き父でした。
ある意味同和教育、人権教育が私はされていない中で育ったともいえます。
だからこそ「人権教育」の必要性を一番感じています。
本文の中でも書いていますが、私は幼稚園児当時「先生」と呼んでいる人から差別を受けて以来、「教師」という仕事に対して、いろんな複雑な思いがありました。
三重県人権問題研究所に勤務していた時、
「こんな先生がいたのか」
「こんな同和教育がすすめられていたのか」
という驚きを周囲の先生から受けた感銘は目から鱗がおちるような思いでした。
同和対策事業の財源に関しての特別措置法が切れて後、同和教育は終わったかのように考えている人もいるようです。
しかし、同和教育の今までの活動を活かしながら人権教育をすすめることは大変重要ですし、私は特に情報化社会と呼ばれる今特にそれを感じます。
特にインターネットはさまざまな問題を含みながらも、今後使用の仕方によっては人権教育の大きな味方となるべき分野です。
しかし、多くの方がインターネットの問題性すら認識せず、情報教育をすすめている現実を知ると私は本当にそれでいいのだろうかと疑問に思ってしまうのです。かといって、その問題性ばかりを気にして今後人権情報の発信などに有効活用できる分野を閉ざしてしまうことはできません。
インターネットを単なる問題のある場所にするのか、有効活用しながら人権教育に生かしていくのかは、教職員である、みなさんにかかっていると言ってよいのです。
そのためにも、インターネットのさまざまな問題点をふまえつつ、その問題点を克服し、有効活用するようにすること。それが私の理想とする人権教育への活用であると思っています。
この本はいわゆる「教材」として使える本ではないかもしれません。ただ、この本を通じて「何が問題で何が必要なのか」を教職員の先生方に提起していきたいと考えているのです。
それがどこまで伝わるかはわかりませんが、私の思いをまとめていき、みなさんの役に立てばというのが今の思いなのです。
2005年4月 /田畑 重志
この本ではきちんとその点にもふれられており、また情報教育の中にきちんと人権教育をいれることの掲示を受けた。