教育オピニオン
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主体的・協働的な学びをつくるインプロ教育
成城学園初等学校教諭木村 大望
2016/7/15 掲載

はじめに

 2014年11月に次期学習指導要領の「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」の諮問の中で、「アクティブ・ラーニング」という言葉とともに、新しい学びの在り方が示されました。それ以来、教育関係者の間では、アクティブ・ラーニングという用語を聞かない日はないと言っても過言ではないほどに、大きな「ブーム」を巻き起こしています。
 その後、2015年8月に公示された文部科学省教育課程企画特別部会による『論点整理』において、これからの教育課程が育成すべき資質・能力として@深い学び、A対話的な学び、B主体的な学びの三要素が掲げられました。「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」を意味するアクティブ・ラーニングを巡る議論は、これらの資質・能力を育むために重要な学びの質や深まりを、どのように実現していくのかを巡る議論と言えます。
 このような流れを受けて、今日では、従来の学校教育の教育課程とは異なる出自を持った教育的活動や学習活動への注目が増えてきています。私が専門としているインプロ(即興演劇)もその好事例であると考え、紹介させていただきます。

インプロ(即興演劇)とは何か?

 インプロは、予め用意した台本や脚本を用いずに、俳優たちが即興的に物語を創造する演劇です。もともとは「即興」を意味するインプロビゼーションの略であり、これは音楽やダンスなどのジャンルでも見られる形式です。
 インプロは次に挙げる3つの領域に分けられます。1つめはパフォーマンスとしてのインプロです。通常の演劇同様、インプロによる公演が国内外を問わず、盛んに行われています。2つめは俳優訓練のためのインプロです。インプロは俳優たちの演技を向上するための訓練として用いられます。日本ではエチュードと呼ばれています。3つめは劇場以外で行われるインプロです。これまでに挙げた2つの領域は主として演劇を専門とする人々を対象としていますが、この領域では、必ずしも演劇を専門としていない人々が対象となっています。インプロを劇場の外に応用するという意味から、「応用インプロ」と呼ばれています。応用インプロは学校や企業、刑務所や市民活動など多くの場面で実践されています。
 学校で行われるインプロついては、多くの場合、インプロを専門とする外部講師が招かれ、インプロのゲームやアクティビティを紹介します。それらはコミュニケーションゲームのようなものが多く、誰でも簡単に取り組むことができます。参加者はそれを通じて、インプロの考えや観方を体験的に学んでいきます。主な対象は児童や生徒ですが、教員研修などで教職員がインプロを経験する機会も増えています。
 これまでも学校現場では、国語科における劇的活動などが数多く実践されていますが、インプロそのものが主として扱われる場合、そのような実践とは形態が異なっています。どちらかといえばワークショップ的な実践に近いと言えるでしょう。

「イエスアンド」で協働関係を学ぶ

 このような体験を重視した活動に対して抵抗を覚える人も少なくないと思います。とりわけインプロは、一般的な教科と直結せず、またすべての活動が即興的に組織されるため、どのような学びが生まれるかという想像がしにくいからです。「活動あって学びなし」という嘲弄的な言辞がありますが、インプロもその類の実践であると思われがちです。
 たしかにインプロの実践は即興的に組織されますが、そこで行われる活動には共通する基本原則があります。その代表的なものが「イエスアンド」です。
 「イエスアンド」は相手の言葉やふるまいを受け入れて、そこに新しいものを付け加えていくことです。インプロはその場で即興的に物語を創り上げるため、俳優としての役割だけでなく、脚本家や演出家としての役割を同時に担うことになります。その際、一緒にパフォーマンスを行う相手とどのような関係を構築するかが非常に重要となります。「イエスアンド」は相手と協働的に物語を創るための最も大切な姿勢です。学習者は「イエスアンド」という基本原則を手掛かりに、自分と異なる考えや価値観を持つ相手と、互いによい関係を構築するための態度を学習していくのです。
 ただし、学習者は「イエスアンド」を予め理解したうえで、インプロに取り組むわけではありません。学習者は「やり方が分からない」状態で、インプロに取り組み、その試行錯誤の過程の中で「イエスアンド」などの基本原則と繰り返し出会います。その点でインプロは非常に主体的な活動であると言えます。そして優れたインプロの実践家は、学習者のhow(どのように)を支援する術を身に付けています。

授業で実践可能なインプロ「名前を付ける」

 では、実際に私がよく行う「名前を付ける」というアクティビティを紹介します。
 「名前を付ける」は2人で行うフリーシーンです。1人がステージ上で待っているところに、もう1人がやって来ます。そして、相手の役の名前を即興的に決めて、話しかけます。待っていた人はその提案(オファー)を受け入れて、同じように相手を名付けて応答します。ここまでの一連のやりとりができたところで、このアクティビティは終了となります。例えば次のようなやりとりが行われます。

A(ステージに入って来る人):あ、山田くん! こんなところでサボっているの?
B(ステージで待っていた人):ああ、藤田さん。実は昨日の練習で足を痛めてしまったんだ。

 このシーンではAが藤田さん、Bが山田くんという名前に決まりました。そのうえ「サボっている」という言葉を受けたBが、何かの練習でケガをしたと打ち明けるというアイデアを付け加えています。まさに「イエスアンド」の状態です。「名前を付ける」アクティビティとしてはこれで十分に合格ですが、まだまだ先が続きそうな予感があります。
 とても簡単なアクティビティのようですが、実はこれがなかなか難しいのです。例えば次のようなやりとりとよく出会うことがあります。

A:あ、山田くん! こんなところでサボっているの?
B:え? 誰? 僕は山田じゃないよ?

 ここではBはAの山田くんというオファーを受け入れずに、否定しています。こうなるとAはまた別の名前を考えなければなりません。しかも一度否定されている以上、さらに「おもしろい」アイデアを出さなければいけないだろうと必死になります。一方でBはAからの次のオファーが出てくるまで思考はストップしています。そのうえで次のオファーに対して評価するための準備をしているのです。
 これは先ほどの「イエスアンド」と真逆の状態です。相手のオファーを受け入れなかったために、お互いのやりとりが苦しくなっているのです。こうなってしまうと、このやりとりがそう長くは続かないと直感します。
 実際に「名前を付ける」というアクティビティを行うと、初めのうちはほとんどが後者のパターンとなります。なぜそうなるのかという説明をしたいところですが、今回の記事の目的ではないため、割愛させていただきます。このような活動を通じて、子どもたちは、相手とよりよい関係を構築するためにはどのようにふるまうべきかについて、深く内省するためのきっかけを得ることになります。

おわりに

 今まで見てきた通り、インプロの実践は基本的に他者と協働することを前提とした活動です。そこには異なる考えや価値観を持つ相手とどのように関係を構築すべきか、という知見が蓄積されています。そのうえ、即興という定まったやり方のない活動であるゆえに、学習者の主体的な取り組みが求められます。その結果、創造されたシーンには、学習者の言動やふるまいを省察するための材料で溢れているのです。
 インプロは決まった知識を学習するものではありませんが、どのように学ぶかという学習のhowの部分に対して強く働きかける学習活動であると言えます。
 つい先日、『インプロをすべての教室へ』という非常に魅力的かつ意欲的な題名の著書が出版されました。アクティブ・ラーニング的実践を探究するためのひとつの手掛かりとして、より多くの教育関係者の間でインプロという言葉が広がっていくことを願っております。

【参考文献】

キャリー・ロブマン&マシュー・ルンドクゥイスト著、ジャパン・オールスターズ訳『インプロをすべての教室へ:学びを革新する即興ゲーム・ガイド』新曜社、2016年

今井純『キース・ジョンストンのインプロ』論創社、2013年

高尾隆、中原淳『Learning × Performance インプロする組織:予定調和を超え、日常をゆさぶる』三省堂、2012年

木村 大望きむら ひろもち

青森県八戸市出身。東京学芸大学教育学部、同大学院(教育学)修了。
現在、成城学園初等学校専任教諭。また、都内で活動するインプロチームSAL-MANE(サルメーヌ)の代表も務める。

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