- まえがき
- 第1章 児童作文の活用で生き生き「道徳の時間」を創る
- 1 児童作文で子どもの心を知る
- 2 児童作文の活用で「道徳の時間」に豊かさを注ぎこむ
- 3 児童作文に表れた生活や考え方の背景へ目を注ぐ
- 4 児童作文の活用で互いのよさを共有させる
- 5 児童作文の活用で生き生き「道徳の時間」を創る
- 第2章 道徳の資料として児童作文を活用する
- 1 児童作文を活用する「道徳の時間」の構想
- 2 「道徳の時間」に活用できる児童作文の要件
- 3 授業づくりの手順と配慮事項
- 第3章 児童作文を活用して育てる生きる力・場や機会
- 1 児童作文を書かせることで育つ生きる力
- 2 教科の学習という場
- 3 「総合的な学習の時間」という場
- 4 日記・グループノート・文集という場
- 第4章 書くことで育った子どもと教師のかかわり
- 1 わがままをおさえ、自らの内にあるやさしさに気づいた子(二年)
- (1) 子どものプロフィル
- (2) 書くことで子どもを育てる
- (3) 「道徳の時間」に児童作文を生かす
- (4) 「道徳の時間」と特別活動を連動させ豊かな心を育てる
- 2 自らの弱さを克服し、自立をしていった子(四年)
- 3 強く生きる姿勢を示し、友だちの信頼を得た子(五年)
- 4 書くことで育った子どもと教師の役割
- 第5章 児童作文を活用した生き生き「道徳の時間」指導事例
- 一年 作文ノート「せんせい あのね」を活用した道徳の授業
- 1 主題名
- 2 指導内容
- 3 主題設定の理由
- 4 資料
- 5 目標
- 6 学習活動の計画と資料の生かし方
- 7 授業の実際
- 8 授業づくりのポイント
- 二年 日記「赤えんぴつをなくした」を活用した道徳の授業
- 三年 日記「中本君、ありがとう」を活用した道徳の授業
- 四年 一枚文集「すずかけ」を活用した道徳の授業
- 五年 生死が書かれた日記をもとに、生命を見つめさせる道徳の授業
- 六年 作文「御霊神社とわたし」を活用した道徳の授業
まえがき
一年生の朝の教室、登校してきた子どもたちがランドセルを机の上に置くと、
「せんせい、朝顔さんに、お水をあげてくるよ」
と言って飛び出していく。大切な宝物に水をあげるように、ていねいに水を注いでいる。
「たいへん、たいへん、ちょこっと何か見えてきた。黒いような、青いような」
芽が出てきた瞬間を見つけたうれしさを、息はずませて伝えにくる。
朝顔を育てながら、自然の神秘さにふれたり、毎日、継続して仕事をすることの大切さを身に付けている、一年生の教室風景である。
どの教室にも見られる珍しくない姿であるといえばそれまでであるが、この光景の中に、子どもの輝きやときめきがあるという目で見ていくと、大変な宝物を手にしたような感動を覚える。
「山尾さんは朝顔とどんな話をしているのだろう。毎日続けているあのエネルギーを支えているのはなんだろう」
「まわりの子が芽を出し、少しずつ大きくなっている朝顔なのに、上村さんのはまだ。どんな気持ちで、となりの子の朝顔を見ているのだろう。わがままに見えるこの子にも、待つという力があるのだろうな」
立ち止まって考えることがなかったら見過ごしてしまいそうなことではあるが、少し距離を置いて見たり子どもの立場に自分を置いて考えていくと、そこにいくつかのドラマがあることに気づく。
六年生の教室に行くと、いつも一人で読書をしていた子がいた。本が好きな子と思い込んでいたその子が、本当はだれからも遊びにさそってもらえない悲しさを精一杯訴えているということを、友だちの日記から知ることもある。表面的なものでしか見えなかった未熟さをわびる思いで子どもと語り合ったこともある。
「道徳の時間」に児童作文の活用を考えたのは、子どもたちの本音が作文に表れることが多いという経験から得たものが背景にある。
日記を読む、作文や手紙を読むということを繰り返していくうちに、書いた子どもの願いや思いが文章の奥にあることに気づくようになった。そして、この子が本当に言いたいこと、伝えたいことは何かを考え、子どもからのメッセージとして受けとめたり、SOSとして読んだりするようになった。
それを、自分だけのものにとめておかないで、集団で考える、個人で話し合うという過程を積み上げていくうちに、子ども自身が強く生きる力を身に付けたり、新しい生き方を発見するということがあることにも気づいた。
「道徳の時間」のある部分、児童作文を活用すれば、子どもたちの心を揺さぶり、動かす授業ができるということに確信をもつようになった。
高学年になっても忘れものを続ける子がいた。その子が日記の中で、
「初めて教科書を忘れた日、いつ先生から注意されるかと心配で、その日は一日中、どきどきしていた。でも、三回目、四回目になるとそんなに気にならなくなった」
と書いてきた。その文を読みながら、初めてというその日の不安を見抜けなかったことに悔いが残った。
子どもたちは、学校という舞台で、教室というステージで日々、様々なドラマを展開する。その一場面一場面が生きる力に大きく響いてくる。
子どもたちの心の動きを的確に見抜ける場の一つに児童作文がある。児童作文を手がかりに子どもを知り、それを「道徳の時間」という学習の場に生かしたら、心に残る授業になり豊かな心が育つのではないかと考えてみた。
児童作文を「道徳の時間」に活用していくことを中心にまとめたのが本書である。道徳の授業が、子どもにとって生きる喜びにつながるものであってほしいという願いが強い。
このような考えを、実践や研究で交流を深めている皆様に提案したところ、早速、実践してくださり原稿をいただくことができた。第5章の授業事例として、その一部を紹介させていただいた。ご協力いただいた先生方に感謝し、お礼を申し上げます。
本書をまとめるに当たり、ご親切なご助言をしてくださり、出版へ導いてくださいました明治図書出版、仁井田康義様にお礼申し上げます。
本書が、道徳の時間の充実に役立ち、子どもたちの生き生きした姿を現出する手がかりになれば幸いです。
平成十三年四月 /吉永 幸司
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- 明治図書