- まえがき
- T章 新しい中学校美術授業のめざすもの
- 美術教育の課題と展望
- 新学習指導要領の改訂のポイント
- U章 中学校美術科の授業構想と年間指導計画
- 1 中学生の実態と視覚文化
- 2 題材構想と主題生成
- 3 表現と鑑賞のバランス
- 4 年間指導計画の留意事項
- 5 鑑賞における「日本の美術」の扱い
- 6 共同制作の価値
- 7 評価の問題・定期考査の活用
- 8 図工と美術の連携
- 9 美術教育の有用性
- V章 中学校美術科の題材&授業の実際
- 1年 A表現
- 1 手は口ほどにものを言い じっと手を見る
- 〜主題を基に魅力的な形で表す彫刻の学習〜 (6時間)
- 2 空を泳ぐ○○○(複合題材)
- 〜みんなで学校を彩ろう(共同で行う創造活動)〜 (5時間)
- 3 音の出るおもちゃ「アボリジニ・テレホン」と「ハミング・スティック」
- 〜木の豊かさを感じて〜 (4時間)
- 4 心のなかの色・かたち
- 〜抽象で表す色面レリーフ〜 (10時間)
- 5 アートなツリー
- 〜鑑賞教育への手掛かり〜 (4時間)
- 1年 B鑑賞
- 1 住んでいる人は,どんな人?
- 〜ロールプレイを通じた鑑賞学習〜 (3時間)
- 2 身近なデザインの鑑賞
- 〜シャープペンシルを鑑賞しよう〜 (2時間)
- 2・3年 A表現
- 1 マイ・キャラクター
- 〜パソコンでキャラクターをデザインしよう〜 (8時間)
- 2 心を見つめる美術教育(フォトコラージュ)
- 〜わたしのお気に入りの風景〜 (5時間)
- 3 My World
- 〜立体感のある図法を生かして〜 (10時間)
- 4 すべての人の生活を快適にする商品開発!
- 〜ユニバーサルデザイン蜂ヶ岡中学工場〜 (8時間)
- 2・3年 B鑑賞
- 1 比べて見よう
- 〜比較鑑賞と表現を取り入れた対話型鑑賞法〜 (3時間)
- 2 今日から街は美術館!!
- 〜Webを活用した彫刻鑑賞〜 (1時間)
- コラム
- @基礎・基本のとらえ方
- Aモダンテクニックの意味
- B校内展示の生かし方
- C教科通信の重要性
- D生徒指導と教科指導
- E美術活動の日常化
- F夏休みの指導
- G写真からの描写の功罪
- H美術部活動の活性化
- Iマンガ文化と教材
- J美術館との連携
- K教育情報の共有化を促進するために
T章 新しい中学校美術授業のめざすもの(冒頭)
美術教育の課題と展望
平成20年に告示された中学校美術科の学習指導要領は,美術教育における諸課題を新たな視点で見直し,教科の未来を支えるものとなることを期待して改善が図られたものである。改善の具体化は,義務教育の9年間を貫いて設定された〔共通事項〕や内容A表現における創造的技能の一元化などに反映されている。これらの設定自体は,教科理念をより体現することのできる実体的な指導指針を示したものであると評価できるだろう。とりわけ,学習指導要領の内容が資質や能力によって整理されたことの意味は,広くとらえれば,環境や人と相互に交渉する力としてのコンピテンシーを意識したものであり,美術教育では,表現や鑑賞活動を通じた自然,場,材料,人とのコミュニケーションによって造形的なリテラシーやコンピテンシーが育ち,その道のりを経ることで,情操や感性が培われることが目指されている。
しかし,美術教育を取り巻く状況としては,PISA等の影響による学力志向によって「主要教科」の強化に向かわせようとするメディア状況や時代的雰囲気が存在する一方で,学校教育における図画工作科や美術科の授業時間数は実質的に縮減されており,教科の訴求力を剥奪する事態に至っている。こうしたことは,時流という理由だけではなく,一方で感性や情操を標榜する美術科の理念が実践場面に十分浸透していたとは言い難い部分があることも一因ではないだろうか。美術科の学習において,表現活動が結果としての作品のみに価値を置くような実践で満足していたり,近代の表現者(作家)をモデルとした表現形式への追従が自己表現という名の下に当然視され,それが他教科とは異なった教科特性として認知されるはずであるという奢りもあったりした部分もあるだろう。美術教育がこれまでそうした造形主義に依拠した視点での授業に終始して,義務教育の9年間を通して児童・生徒に求められる学習者としての資質や能力の育成に本当に応えてきたのだろうかという問いは,今,改めてわれわれに突きつけられていると考えられる。
そうした意味で,これからの美術教育は,未来形成を担う児童・生徒の視点に立って,小学校,中学校の校種間や表現と鑑賞との間に通底して共通に育成すべき資質や能力を検討した〔共通事項〕の趣旨を踏まえながら,従来の題材内容の見直しや新たな取り組みを具体化しなくてはならない。こうした授業改善の努力は,いくら微力には見えても,危惧される中学校美術科の選択教科への移行を食い止める力になるはずである。
〔共通事項〕をはじめとする教育的な改革が学習指導要領上でなされたとしても,一部の教師に見られる「学習指導要領は関係がない」,「教科書は使わない」という業界の暗黙知のような事態は,それこそ改善されなければならないだろう。このことは,教材開発にかかわる自己裁量権を否定するという意味ではなく,学習指導要領というナショナル・カリキュラムのスタンダードを理解することが美術教育で育成すべき資質や能力についての共通理解を図る上での前提事項であり,また教科書は,授業指針や具体性に欠ける部分があるとしても,生徒にとって最も身近な学習メディアであると同時に視覚メディアでもあるという意味で重要なのである。
こうした状況を変えていくことは,われわれ美術教育にかかわる教師の位置付けや教科の存続のためだけでなく,若者文化を形成すると同時に,芸術文化を継承する担い手となる生徒の想像力という高度の認知能力と感性的能力の発達を保証することのできる教育機会を保持するためであることを再認識する必要があるだろう。
しかし,現実には授業時間の少なさ,非常勤美術科教員の増加など現在の美術科を取り巻く状況は極めて不安定であり,危機的ですらある。また生徒側の問題として,自己嫌いの意識をもつ生徒が増加していることは,自己効力感の喪失を学校教育が一部で助長していることによるし,それに付随したいじめ,不登校などの課題も依然として存在する。こうした問題にも美術科は「逃げ場」や「お気楽」教科としてではなく,積極的に自己実現を確立することに応えていかなければならない。
その上で,基礎学力重視という流れの中で,美術科の果たす役割や意義が社会的に認知されるためにも題材開発や授業改善のみならず学校全体での造形的活動の取り組みや地域との連携を見据えた活動なども可能な限り実施していくことが望ましいだろう。そうした意味で美術科の使命は極めて大きい。
海外では,各国が学習指導要領にあたるナショナル・カリキュラム・スタンダードを策定して美術教育を実施するようになってきているが,昨今の経済的な状況においては脆弱さをさらけだしている。こうした中,美術に限らず音楽,演劇,ダンスなどを包括した芸術教育(Arts in Education)を政府に訴えていこうという動きが加速化している。2006年のユネスコによる第1回芸術教育世界会議(ポルトガル,リスボン)では,アドボカシー(一般市民への広報活動),ネットワーク(学校,地域,芸術家,自治体との連携),リサーチ(芸術教育の重要性を裏付ける研究調査,実践活動)がキーワードとなって,様々な機関の共同声明が出された。また,学校教育における芸術教育をより強固なものと位置付ける戦略的な動きを示そうということで,ユネスコは2010年には第2回の芸術教育会議を開催した(韓国,ソウル)。こうした流れは,一方で,美術や音楽という独立した教科の固有の価値を失わさせるのではないかという心配も生み出している。美術や音楽が表現科や芸術科として一括されることにつながる危険性もあるために,もろ手を挙げてそうした動向を歓迎することはできない。しかし,こうした政治的な戦略とも連携しなければ,単一の教科として生き残れるのかという心配があることも確かである。美術科がこれまで築いてきた地歩をより確かなものとするためにもこうした動向を注視しておくことは,日常的な授業改善と並行して重要である。
今後,美術科は現行の学習指導要領の意図を見据え,表現様式や造形技法に依拠した題材開発や授業実践ではなく,あくまで資質や能力の育成という視点から実践化を図らなければならない。
/福本 謹一
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