- まえがき
- 第一章 「子どもの危機」をどう見るか
- ――子どもの成長空間の変貌――
- 第二章 変容する子ども世界
- 1 何が変わったのか
- 2 消費社会の美学
- 3 ゲーム化する脳
- 4 風景化する他者
- 5 〈大人になること〉の難しさ
- 6 衰退する熟達文化
- 7 生活者としての子ども
- 8 問題構成力の弱さ
- 9 〈自分らしさ〉を超えて
- 10 カオスから自己生成へ
- 11 未来の見えない子ども
- 12 他者と〈かかわり合う〉経験
- 第三章 子どもの世界に〈かかわり合い〉の回復を
- 第四章 国際比較から見た日本の青少年
- 第五章 〈子ども文化〉の変容
- ――情報・消費社会と子ども――
- 第六章 家庭の「人間形成力」の回復を考える
- 第七章 道徳授業で子どもが考え抜くプロセス
- 第八章 ゲストティーチャーと道徳授業を創る
- 第九章 地域と一体となった総合的な学習の展開
- 第一〇章 子どもに豊富な社会体験の場を
- 第一一章 いま、なぜ体験学習が求められるのか
- 第一二章 〈かかわる力〉を考える七つのキーワード
- 1 子どもの成育空間(The Space of Children's Growth)
- 2 学校という意味空間(School as a Meaningful Space)
- 3 生きる力(Zest for Living)
- 4 学びの身体技法(Body Arts of Learning)
- 5 総合的な学習の時間(Comprehensive Learning)
- 6 自己決定と他者(Self-determination and Others)
- 7 〈教師―生徒〉関係(Teacher-Pupil Relationship)
- あとがき
まえがき
わたしたちは、いま急速に変化する社会を生きている。新幹線のぞみの座席に座って新聞を読んでいると、その早さに気づかない。しかし、駅のホームでそれを目撃すれば、それが時速二五〇キロ近い猛スピードで走っている現実を目のあたりにできる。
そのように、身近に起こる出来事の一つひとつからは、それほどの早さを感じ取ることはない。しかし、その場所からスッと身を引いて、その出来事を少し長い時間軸で切り取ってみると、その変化の早さに驚かされることがある。日本の戦後六〇年の軌跡が、まさにそうである。
一枚の写真がある。一九五五(昭和三〇)年に写し撮られた小学校の教室の授業風景である。小学校四、五年の女子児童が、赤子の妹をおんぶして授業を受けている。背中で赤子がぐずっているせいか、児童は、椅子にすわることができない。机を前にして、赤子がぐずらないように、立って背中をゆり動かし、あやしながらノートをとっているのである。
まわりの子どもは、赤子に目をやるでもなく、みな前を向いて授業を受けている。この様子は、当時、赤子を背負う子どもの姿がさほど珍しいことではなく、ごく日常の見なれた風景であったことを示している。(日本写真家協会編『日本の子ども、六〇年』新潮社、二〇〇五年)
これは、わずか半世紀前の写真である。いま、日本の学校で、こうした子どもの姿を見ることは全くない。それどころか、家庭や地域でも、弟や妹の世話をする子どもの姿はほとんど見られなくなった。
かつて農村社会では、子どもは、家事や仕事の重要な担い手だった。子どもは、学習者である前に、親や地域の大人たちと共に生活する生活者の一人だった。だから、この写真が示すように、子どもは、学校でも育児の分担をしていたのである。日本の近代化が達成される一九七〇年代半ばごろまでは、日本の子どもには、大人たちと一緒に貧しさと闘う生活者の汗の臭いが染みついていた。
ところが、高度経済成長を達成し、「豊かな社会」が出現する一九七〇年代後半から、子どもの生活世界そのものがいちじるしい変化をとげはじめる。都市化、情報化、消費生活化という社会全体の機能的合理化の大波が、大人ばかりでなく、子どもの世界をも呑み込む現象が生まれる。
ちょうどこの時期から、学校では、校内暴力、不登校、いじめ、怠学、高校の中途退学者の増大などの荒れた現象が目立つようになった。不登校は、一九七〇年代半ばにはじまり、年々その数を増していった。文部科学省の調査(二〇〇五年度)では、小中学生の不登校者数は、一二万人をはるかに超えている。他方、一九七五年以降、子どもの学ぶ意欲そのものも、低下傾向をはっきりと示している。
「貧しい社会」の時代には全く予想すらできなかった新しい「教育問題」が生じたのである。つまり「教育問題」の性格が、一九七〇年代半ばを境いにして大きくさま変わりしたのである。
新たな「教育問題」の出現。それは、大人と子どもが共に働いた「生産中心」の社会(農耕型社会、工業型社会)が終りを告げ、情報、流通、販売、サービスという新しい「消費中心」の社会(情報・消費型社会)の大波が全国に広がっていく時期とちょうど重なっている。それまでは、大人と生活圏を共有していた子どもが、しだいに大人の生活圏から隔離され、快適な情報とサービス、勉強と消費の空間の中に囲い込まれていく時期である。家庭でも、地域でも、子どもの手が全く当てにされない機能的な社会が出現したのである。
二〇〇四年度の日本の産業別就業人口比は、総務省の調査によれば、第一次産業四・五%、第二次産業二七・五%、第三次産業六六・九%である。いまや日本人の三人に二人以上が、第三次産業に従事していることになる。たしかに情報、サービス、流通という高度の情報処理と対人関係能力を要する複雑な仕事に子どもが参加することは非常にむずかしい。こうして、子どもは、大人の仕事、対人関係の世界(生活圏)からしだいに引き離されて、遊び、勉強、情報、サービスという消費空間の中にますます囲い込まれるという事態が進行してきた。
本書は、情報と消費ということばをキーワードにして、子どもの生活と学習の今日的状況を浮かび上がらせようとしたものである。その分析を通して、これからの家庭、学校、地域社会、職場、メディアにおいて、何が求められているのかを、具体的に明らかにしようとした。農耕型社会や工業型社会の時代の子育てや人間形成の知見に関しては、すでに豊富な蓄積がある。しかし、「情報・消費社会」という新たな社会状況における子育てや人間形成の問題に関しては、まだ十分な蓄積がなされていない。こうした研究は着手されたばかりである。
その意味では、本書をまとめる作業は、うっそうと生い茂った樹海に迷い込み、道なき道を歩き、手探りで出口を探し求めるにひとしいものとなった。情報・消費社会という巨大な樹海のただなかにおかれ、子育てや人間形成の問題に悩む保護者や教育関係者に、それぞれの出口や展望を見つけ出す一つのてがかりを提示できれば、大変有難い。
二〇〇六年七月 /高橋 勝
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- 明治図書